アザミネにそう思わせたものは、グレムリンテイマーにしか目にすることのできない兆候だった。
『本日のニュースで……ッザザ……
各地で……々な怪奇現…ガガッ……が多発……
この放送もいつま……ザーッ……けられるか……』
つけた覚えもないラジオにそうして叩き起こされること自体が、まさしく言われた通りの怪奇現象だった。
まず確認するのは航行状態、問題なし。機体は指定通り自動でタワー近海へと南下し続けていて、敵影もない。
続けてラジオを確かめれば、間違いなく視聴プログラムは勝手に起動して放送を拾っている。つまり俺を起こしたこいつが、怪奇現象ではあれ夢か以前に見たような幻聴幻覚の類ではないことは保証された。
ホーネット・フレームにより増幅された連環制御識、それがどこからか呼び込むヴィジョンと異なることは。
見せられていたそれが怪奇現象とやらかどうかは知らないが、その声と光景は砂嵐まみれの放送よりもよっぽど鮮明だった。
今目前にあるすべてを上塗りして現れ、俺を暫しその中に捉える録画ビデオのような何かは。
『なんで捨てられたんだ? 役目を終えたからか?
つらくなければ教えてくれ、君の見た未来のシミュレーションってどんなものなんだ?』
『私の見た未来は、ありえない未来。
どう計算しても、ヴォイドステイシスの真永劫が破られるなどあるはずがないのに』
『ヴォイドステイシスは完全なるマシンだ。
唯一完全でないものがあるとするならば、ヴォイドステイシスには《心》がある。
ヴォイドステイシスの《思念》を――』
男はともかく女の方の声をどこで聞いたんだったか、そう記憶の中を探ってみれば、行き当たるのは夢の中。
見えた姿も語調も随分と違う。けれどその声質だけは妙に似通っていた。
『死にゆく世界に手向けた花』。幾度となく夢に出たくせ、最後にその名を伝えたきり姿を消した女のそれに。
『例の怪奇現象ですか? 私も遭遇しましたよ。
ラジオ放送の合間に入る囁き声や、聞いたことのない言葉で歌われる歌。おおむね報道通りのものですね。
節回しも全く耳馴染みのないものでした』
「空の方も何かあったんだったか。そっちは?」
『空……十二条光柱や空中葬列ですよね? 私はまだ見ていませんが、同僚の中には見た者がいますよ、それも複数人。
特に熱心な中には仕事の合間に光柱の明滅周期の計測を行っている者がいましたね。あれは神々の脈拍では、と仮説を立てたそうで』
「フリーランサーってのは案外暇らしいな」
『まさか』
寝起きの棺に通話を繋いできたオペレータを捕まえれば、やはり知らないはずもない。これほどの人口が触れられるものとなれば、おそらくは制御識の共鳴の範囲を超えている。
つまり俺の見たのとは別物で、それは今に始まったことじゃない。『手向けた花』の名乗り、西の空へ走る光の夢。そして更に遡れば誰からかも分からない始まりの電話、語らずとも脳裏に蘇ったその先の言葉。
思えばこの戦いの間に絶えず見てきていた。連環が、あるいは他の何かが連れてきたとしか思えない、話す気になるより前に一笑される未来を予想する方がずっと容易いものは。
『それにしてもアザミネさん、こういう話に興味がおありだったんですか』
「別に。どこの局でもやってる割に、てんで縁がないんでね」
『そうですか。任務とグレムリン以外の話なんて珍しいなと』
「そっちこそ、その話しに来たんじゃねえの」
『今日は任務の依頼ではありませんよ。関連の話ではありますが』
『っていうと?』
『昨日の違法人身売買取引摘発作戦、無事に終了しました、というご報告に』
言われた文言を頭で三度反芻してから、聞こえよがしの溜息は意識的な部分が半分、残りは天然。
「律儀なこったな、直前で蹴った奴によ」
『参加を検討していただけたのは事実ですから。テイマーである以上優先順位がある、というのももっともです。
それに、随分気にしてらしたように思えましたので』
「ふうん。そう見えたかい」
はい、という肯定を聞き流しながら、断りの連絡を入れた時を思い返す。別に殊更平常とかけ離れたところはなかった――という判断がどれだけ正確なものか。
了解は取っていたとはいえ当日の朝という急場の通達、そして結局機体に問題がなければ行くという事前連絡をひっくり返した。そのどちらを取っても、まあ殊勝になるほうが普通の場面のはずだ。
それ以上の何かを分かるほど滲ませてしまっていたというなら、多少は悔しくそして情けない。
そんな内心ももちろん悟られることなどなく、オペレータは報告を続けていた。
『犯人チームのうち8名を拘束。2名は高速艇に乗り込み逃亡を図り、現在も追跡中。
ですが少なくとも子供達については、生命反応のあった全員を保護できました』
生命反応のあった。その注釈が何を意味するかなんざ今更確認するまでもない。ただ不幸な奴がいたというだけだ。
ただ残った側を幸運と呼べるかどうかを決めるのはこの先であって、今じゃないこともよく知っている。
「どうなんの、そいつら」
『もちろん親元へ返します……と言いたいところですが。
この状況では、まず今すぐ必要なのは親族が見つかるまで生き延びるための受け入れ先です』
「師団にゃ一番期待しちゃいけねえモンだな」
そう返せば落ちる沈黙は、その言葉を向こうだってはっきりと理解している証だ。
抱える人間の数ばかりは多いくせに、青花師団というものは『公的』とつくあらゆるものに大した興味がない。必要性こそあれ用意するだけ自由を奪う、特に小児への思想教育へ繋がることは避けなければならない。叫ばれているそんな言葉はどう聞いたって体のいい言い訳で、実質としては金もなければやりたがる人間もいないってだけだろう。
お得意の自主性ってものに期待したところで、得にもならないガキを好き好んで相手するような人間がそう多いわけもない。
『……返す言葉もありません。
氷獄と小群島の避難受け入れの限界は聞こえてきていますし、横道潮流と巨人の島はまだ復興着手の段階で施設そのものがありません。
頼みの綱になるのは民間ですが……こちらも、まずこの戦火の中で残っているかどうかからの調査になっているそうです。
担当はずっと嘆いていますよ、ここが残っていれば、と。フローリスト、ペルビアナ、プルンバーゴ……』
元から席の少ない中の椅子取りにさしたる希望もないだろう。脳裏に蘇るのは小群島で見た物盗りのガキども。
だがあいつらはこうして関係のない人間にも覚えられているだけまだマシなのかもしれなかった。誰の目にも触れないように育てられ、使われあるいは死んでいく奴だってこの世界には掃いて捨てるほどいる。
まさに今、摘発がなければ表の誰にも知られることのないまま『取引』されていったであろう子供の話をしているように。
そして俺がどこで、どんな風にして育ったかを思えば。
『――アルテア』
まさにその時、心中を読んだかのように挙げられたその名だけで、目を見開かせるには十分だった。
どういうことだ。あれは受け入れ先なんかとはほど遠い密売者どもの巣のはずだ。あれは消えたのか。あの死の眠りの16時間に。あるいはそれ以降に?
そのすべてを訊くために、それかただの驚きで発した最初の一声を上からかき消すのは最大音量で鳴り響く不協和音。俺を寝ていようが問答無用で叩き起こせる大きさの騒音は敵影感知のアラート、会敵の合図だ。
通信は自動シャットダウンし、映っていたオペレータの顔は瞬時に消え去る。届かなかった詰問の代わりに口を突いて出るのは抑えもしない罵声そのもの。
入れ替わるように立ち上がる戦闘プログラム、ローディングを始めるカメラ映像へ向ける視線が殺気立っているのが自分自身ですら分かった。だがこの場をさっさと切り抜けるには、ずっと続けてきた戦法は適しすぎているくらいだ。
全力で叩き落とせば五分と――
その気勢を一挙に、まさに海へ突き落としたように冷やしたのは、そのウィンドウの中へ映り込んだ異貌だ。薄らぎまた濃さを増す粉塵の中でさえ一目で分かるほどの。
それは海を往く砂嵐、あるいは音を頼りに描き出したイメージとしてのノイズ。敵機として、いや機械として製造されたものとは到底思えやしないそれが画面の中で群れを成していた。
真っ先に疑ったのはもちろんモニタやカメラ、映像関連機器の故障だ。だが隣の既存機は間違いなく昨日相手をしたのと同じ姿で映っている。敵機と判定された砂嵐の映るそのエリアへ来ようとも。
なら次の可能性はそれを敵影と判断した索敵関連の不調。開くのはテキストエリア、居並んだ敵機の内訳表記。
【かk機めut艦『veu・るージェ』】
そこにずらりと十行ばかり並んでいるのは不具合としか思えない羅列だった。眩暈を堪えながらも回す頭は止めない、その中で辿り着いた一つの回答。
それが元からそういうもの、どこかが狂ったものとして存在しているんだとしたら?
その可能性を思った時に浮かんだのはかつて幾度となく焼き尽くした、スクラップとなることを拒む機械。
そしてそれを含む未識別機動体が何と呼ばれたか。
あの連環の像に似た声をした『手向ける花』が、何を告げたか。
『この世界は致命的な不具合を抱えている』
それを思い浮かべながら文字列に目を滑らせていけば、その末尾にぞくりと怖気が走った。心臓でも掴まれるように。
正体不明。取り巻きどもとは格が違うと一目で分かる連中の枕詞。それに続く、今日の名。
『あなたは誰?』
それを直接連環の回路に割り込ませる形で告げられたのなんて、初めてだったから。