かつての愛機と同じホーネット・フレームへの換装準備が済んだ工廠で、アザミネの胸には複雑な思いが渦巻いていた。
「本当にこの動きをストレイキャット・フレームで?」
スクリーンから外れてこっちを向いたアネモネのエンジニアの視線は、その言葉が纏う雰囲気と同じく完全に詰問のそれだった。
映像そのものは3分もない。これまでの戦い方なら、それだけあれば十分だったからだ。
狙撃砲付属の精細思念捕捉装置で目を光らせ、撃ち抜き、それを起点にファントムハートを目一杯に吹かす。小兵どもを踏み潰しながら十分な加圧を行い、オールグリーンが出次第、拡散火球砲が放つ圧縮火球の熱波が敵機すべてを焼き尽くす。生き残りがいたとして、フレームに満ち満ちたエンジンの余剰出力で貫けばまず落とせないことはない。
どんな敵機が動くよりも早い、傷一つつけさせないための戦い。それはどう考えたって、ストレイキャットという哨戒機に向いた戦法じゃない。
結局のところそいつは無駄骨に過ぎなかった。そうしてまで持ち帰ったものを、完膚なきまでに拒絶された今となっては。
「ああ」
「火器系統不調の原因、よく分かりました。これからもあのまま戦うのなら、換装を強くお勧めしますよ」
口じゃそう言っちゃいるが、どう考えたってお勧めするなんてものじゃない。そんな体を取っただけの命令形。
だからこっちの対応だって口に出すまでもないものだ。肩をすくめて、よろしく、と一言。
不満そうに鼻を鳴らし、聞こえよがしに足音を立てて歩いていく姿を見送って、こちらにも向かう先があった。
巨体の立ち並ぶグレムリンハンガー。かつてとは比べ物にならないほどの人間が行き交うその通路を、人の流れに逆らってずっと奥へ。
前と同じように、『サーシオネ』への搭乗許可はあっさりと下りていた。前はそれが動くことへの祈るような期待故だったろうが、今や搭乗したところで動かないことは分かり切っている。状況が変わっての再試験、というほど何が動いたわけでもない。
ただ、好きにさせておけってだけだろう。それで気が済むなら構わないというだけの。
二週間のあいだ閉められたままの棺には埃が入る隙間もない。身を沈めたシートの感触は以前の訪問と何ら変わらず、そしてやはり『フォールスビーク』にどこか似ている。
そしてこれから、『フォールスビーク』はもっと似ていくことになる。ホーネット・フレーム、今搭乗しているこの抜け殻じみた機体の骸と同じ形態へ換装することで。
第三種《連環》、および第五種《祝福》好適。そんな奴に与えられた青花の機体は、第三種制御識適性を存分に生かす連動機。
闇の中で座ったまま腕を伸ばせば、探り当てるまでもなくロックされたままのレバーに行き当たる。軽く握ればそれだけで、モニタがある位置にかつての表示が重なって見えた。そしてこの機体が、どんな動きで戦場を駆けていたのかも。
装甲の一部を省いて軽量化されたボディが可能にする流れるような加速と、その速度でもって躱す弾丸。それが飛んできた方へ向ける四門の兵装スロット、そこに据えられた連動兵器を動かすたび戦場のすべてを幾度となく薙ぎ払う思念の波。
今だって昨日のことのように思い出せる、そして明日にも同じ動きをすることになるであろう、このグレムリン・フレームの戦い方。哨戒機が見つけ出した相手を、完膚なきまでに叩き潰すための。
だがただそれを思い出したいだけなら、座るべき座席はここでなんかあるはずがなかった。
頼るべきは確証の取れて、何より電源の入るシミュレータによる訓練と試行であって、不確かな記憶と電源すら点かないような棺じゃない。
『航空者』からの提供データを元にもたらされた新たなパーツ。思念研究によって拡張された新たな戦闘システム。『進化』し、意力撃滅をも漸減する思念障壁を備えた未識別。この二週間あまりでテイマーを、グレムリンを取り巻く環境も激変しているから猶更だ。
それを知りながら、どうして。
聞かれたなら、そう詰る誰もここにはいないからだ、と答えるだろう。
そう聞く奴だって初めからいるわけがないけれど。
腕はアームレストに載せたまま、手をレバーから離す。同じように脱力した首を引いて、後頭部を重力のままヘッドレストにもたせ掛ける。
見上げる天井が『棺』の呼び名に相応しく低いことは知っている。
そしてこれだけは、記憶と差異があるだろう。いつもこうして見ていた頃に比べれば、天井なんて今はずっと近くなっているはずだ。あらゆる動力から隔絶された真っ暗な世界では、はっきりと視認できないというだけで。
見つめるべきものは俺しかない。
未識別機動体の危機に晒された虚空領域で、今なお戦うことのできるグレムリンテイマー。
その立場に甘えに甘えた末に、何よりも優先するべき、数少ないすべてを共有できる相手をどうにもこっぴどく裏切ったガキしか。
いや。俺がどう思っていようが、向こうからはもう何を共有できることもないとでも見られているだろう。覗かせたあの本音は、おそらくそれを伝える最後通告でもあった。
もう俺にはそれに報いる何かも、もう一度縋るための手段さえも思いつかなかった。
テイマーとして戦う。平和を連れてくる。止まったグレムリンたちをもう一度動かす、その希望を叶える時間をもたらすために。自分が口走るなんて思わなかったそんな正しくて綺麗な回答を、これから俺は真顔で答える羽目になるだろう。心底そのつもりで。
だがそれは、その言葉が真実である証明になんかなりえない。仮に俺があのことに何ら心動かなかったとして、それでも戦い続けることには変わりないからだ。これまでただ、グレムリンがあるからというだけで戦ってきたのと同じように。
そして俺ともう関わらないとして、それは今やあいつにとってそこまでの痛手でもないだろう。
あいつにはもうアネモネで得た居場所がある。グレムリンを失いながらも、その知識をもって戦線に協力するテイマー。そういう背景とともに、あいつはもうあそこに受け入れられている。
それがある中なら、一人と縁を切るくらいはどうってことはない。例えその背景にある出自を誰も知らないとしても。子供の頃の秘密を共有する相手がいないとしても。
それを見ながら自分を振り返ってみれば、あるものなんてグレムリンひとつ。残りのすべては、テイマーという肩書があるから泊まることを許された寄港地みたいなものに過ぎない。
受け入れられる地も帰りたい場所も、守りたいと望んだものを信じてもらえるような信用もない。これまでもこれからも。
ただ、それを壊し続けることだけができる。なにひとつ作れも得られもしないくせに。
そんな自分のどうしようもない空っぽさに滲む涙に揺らぐものも、漏れる啜り泣きを聞くものもここには何もない。
記憶の通り棺の中にはこれまでと何ら変わらず、何もかもを受け入れる無言の闇だけがあった。
ガキ四人が二段ベッド二つと一緒に一部屋に押し込められた、プライバシーもクソもない集団生活。
依頼に応じてあらゆる船へ移り、宛がわれた客室を転々とする傭兵暮らし。
落ち着きという言葉とてんで縁のなかった人生の中で、唯一『いつもの』と呼んで、ひとりきりになれた場所には。