そこに残っているであろう友へ取ろうとした連絡は、思わぬ割り込みに阻まれる。
『認証に成功。思念接続を開始……対流域を確保。ようこそ、グレイヴネットへ!!』
繰り返される通信エラーの後に響く、心待ちにしていた人工音声に顔を上げる。あのジャンク野郎どもも随分と面倒なことをしてくれたものだ。
立ち上げるのは多重暗号化された秘匿通話回線。発信先アドレスを打ち込み終えて最後のキーの一押しは、寸前で割り込んできた通常通話の受信許可を出してしまう。まだ発信元も何も見ていないうちから。
ようやく繋がったばかりの回線は未だ不安定らしかった。画面に大写しになる姿ははっきりしているくせに、聞こえてくる声は乱れノイズにまみれている。
「ザザッ――かった、繋がりま―ザッ―たね。
ハイド―ザザザーッ――リーランサーより、『フォールスビーク』アザミネ・トウハさ――ザーッ」
音がいくらか潰れたって分かるお決まりの通信文を耳に入れながら、改めて文字として表示し直した発信元は名乗り口上と同じ。
映るのも見慣れた顔だ。フリーランサーに身を置いた当初から変わらないいつもの窓口役。
「切っていいか? 用あるんでね、終わったらこっちから繋ぎ直す」
「待っ―ザーッ―さい、かなり人員の限られた作戦がありまして。話だけで―ザザザーッ――。
繋ぎ直すって言ったってこの―ザーッ――子です。それにせっ―ザッ―取っていただいたんですし」
取りたくて取ったんじゃねえよ。それに説明もろくに聞こえやしねえだろ。
食い下がるオペレータは反応を待たずもう話を次ぎ始めている。最悪このまま切られても構わないといった風に。
そこまで切羽詰まる何がある、その微かな興味が通話終了ボタンへ伸ばした指を止めさせた。
「フリーランサーでは現在、違法――ザザザーッ――取引の摘発――ザザッ―に協力可能な人員を探しています。
作―ザッー域は辺境海域、北西柱。決行は二日後――ザーッ――交戦可能性あり。
グレムリンな――ザザザ――による戦闘ではなく、目標船に乗り込んでの白兵戦任務となります。
決行期日までに作戦領域へ到達可能かつ、肉体的戦闘技術を習得し―ザッ―方として、アザミネさんに協力を要請したく――ザザザ」
ふうん。漏れたのは自分でも分かるほど興味のなさそうな音。
雑音に紛れた分を聞き飛ばしたって分かる。グレムリンに乗れる奴が今最優先すべきなのは、何をどう考えてもあのジャンクのデカブツどもだ。テイマーだけじゃない、そのために虚空領域の全兵力を挙げているといってもいい。その中でそんなに絞って探すなら首尾など上がるわけもない。
聞き返す声は茶化し半分。
「正規軍は? 聞く限りいかにもそっちの仕事って感じだが」
「これは青花師団本部よりフリーラン――ザザッ――依頼です。
ジャンク財団との交戦、および財団の戦力誇示に巻き込まれて出ている多数の死傷者、および拠点強襲作戦へ大きく兵力を割いた―ザーッ――よる兵員不足のカバーをと」
「へえ。テイマーに声かけるほど人が足りてないって?
グレムリンに勝てるとしたらまずグレムリンだろ、財団にぶつけた方がよっぽど助かる命もあると思うがね」
「承知の上で、フリーランサー協賛者の一人としてお声掛けを――ザーッ――論いつも通り、強制力はありません。
我々は師団の理念に従い、自由意思の元の協力を求めます」
その通り、フリーランサーの姿勢としては何も間違っちゃいない。元から金次第で何でも請けるし、何なら金がなくたって食指が動けば請ける。
そういう意味じゃあ最も青花らしい組織だろう。その意思だってカネで曲がる辺りは最高に皮肉だが。
「詳細について続けますね。
『死の眠りの16時間』以前から摘発に当たっていた正規軍の中心メンバーは残存していますから、依頼するのはあくまでその補助になります。
主に出口を固め、逃亡者が発生した―ザッ――最終確保をと」
「そんな重要な役どころを傭兵に任せるのか、本部は?」
「そうであっても好機は今しかない、という考えのようです。間諜が掴んだ情報も、いつまで正しいか―ザッ―
それに、混乱下の今だからこそこれ以上乗じての犠牲者を出すわけにはいかないと」
いささか語気の強まったオペレータの言葉にふとした違和感。犠牲者? 何の。
密売され、かつ犠牲者が出るようなもの。薬? 火器? 人間? どれもあり得るからこそ絞れない。
「待ってくれ。多分一番重要なトコ飛んでんぞ。『何の』密売摘発だ?」
一瞬の間を置いて、大変失礼しました、と返る声。その中にいくらかの訝しみがある。当たり前だ。何でもっと早く言わなかった、逆なら俺だってそう思っただろう。
だがその答えを聞いた後じゃ、そんな些細なことなど覚えちゃいなかった。
「違法人身売買。
それも、天然臓器摘出用の小児のです」
少しの沈黙の後に、なるほどねえ、と出した声が長く尾を引く。
自然と片眼を押さえるように手が動いたのは、そこがふと熱を持ったように感じたからだ。正確には、眼球を跨ぐように刻まれてなお消えない手術痕が。
そんなはずはない。もしそうならこの体中、燃えるように熱くなっているはずだ。一瞬にして氷獄もかくやと思うほど冷え切ったこの胸にあった熱に代わるように。
「OK、受ける」
「! ありがとうございます」
その胸から出した声も案の定同じ温度で、どこか弾んだ調子の抑え切れない向こうの声と比べればなお冷たい。
「ただし仮返答。
明日にはアネモネで機体のチェックだ。万一引っかかったら話はナシ。足がない」
引っかかるものか、とは思いながらも口に出さざるを得ない矛盾した懸念は、氷獄で俺を呼び止めたエンジニアの言葉が残したものだ。
身体検査における第四種制御識《希望》領域への高負荷値。そんなことは分かっている。元から俺にあそこまで四種を扱う適性はない。どうせアネモネに着けばそんな無茶も終わりだ。
棘のように刺さっているのはもう一つの方。
火器系統の命令伝達回路に、微かではあるが異常兆候が見られる、と。
パーツ自体に問題はない。棺でもない。そうなれば原因はフレームか、あるいはブラックボックスのG.I.F.T.システムそれ自体。
もしもシステムであれば、修正はおろか究明さえも危ういかもしれない。工廠で詳細な検査を行うべきだという。
実際に使って何の差異も感じないものに、その言葉一つで異常を認めるのは難しいだろう。だが物がグレムリンだ。命を預けるものに万が一があれば待つのは死。どっちみち、アネモネに寄る用が消えるわけじゃない。
「了解しました。明日の夜に最終可否についてお伺いしますね」
「頼む。そんじゃ」
いくらか冷静になった向こうの声に被せるようにして、そのまま通話を切る。とんだ長話だ、だが悪くはない。
映されていた通話相手が消えれば改めて現れるのは元通り、後はキーをひとつ押すだけの秘匿通話発信画面。もうそれを妨げるものは何もない。
数コールの後に聞こえるのは、先のそれよりもずっと長く。物心ついたその頃から親しんで、心許した声。
「もしもし、アザミネ?」
「おうラトー、今空いてるか?」
「いつ呼ばれるかわからない。待機時間なんだ」
「じゃ、手短に。
通じたってことはアネモネだな? 明日にはそっち着く。ドック一つ点検で予約を取りたい」
「わかった。話は通しておく」
「で、ここからが本題。土産を持ってけそうだ」
「ふうん? アザミネにそんなこと言われるなんて思わなかったな。何?」
「グレムリンだよ。動くやつな」
瞬間モニタ上に浮かんだ表情は、驚きというよりは疑念のそれだった。
細まった目と同じ声色が、先よりもいくらか低くスピーカーから響く。
「……どこで鹵獲した?」
「これからするんだよ。もう実質してるって言ってもいいか?
真紅の連中の量産型がずっとついてきてるんだが、使い物にならないんだよ。今はこんな状況だろ? そうじゃなくたって、グレムリンは使える奴が乗るべきだ。
お前の腕は信頼してるよ、昔からな。『トリップラーレ』じゃなくたって、また一緒に飛べるならこんなに心強いことはねえ」
口に出せばその姿が脳裏に蘇る。両腕に付属する形で二枚、思念誘導方式で宙に浮かぶ四枚、巨大な六枚の装甲板を備えたグレムリン。傷跡の制御識に長けたあいつに宛がわれた迎撃特化の機体。
返答はない。説明が足りてない、あるいは。
「何も連中を殺ろうってんじゃない。登録内容を書き換えるだけだ、ちょっと大人しくしてもらってる間にな。
工廠の設備なら――」
「アザミネ。それは駄目だ」
反発。原因がそちらにあるのは、表情を見た時から少しは予想できていた。
だが道理はまだこちらにある。動くグレムリンが限られている以上、乗るべきはより強い奴のはずだ。それに揺らぎはない。
予想を外してきたのは、その次。
「駄目だ、が通じないなら、できない、でもいい。
協力できない。テイマー登録の書き換え、それに……グレムリンに乗ることそのものにもだ。
例え『トリップラーレ』が今目覚めても、僕は飛ばない……いや、飛べない、かな」
どういうことだ。
乗れなくなった? 何故。手足が飛ぼうが新生体がある。一度目覚めた制御識は失われない。当たり前に飛んでいた俺たちが今更怖がる理由なんか何もない。
それに、俺たちがグレムリンに乗れなくなって何が残る。
淡々と言葉は続く。二の句の継げない俺を置いて。
「明日には来られるって言ってたよね。着いたらすぐ下りて、そこで待ってて。迎えに行く。
きっと、自分で見た方がわかりやすいと思うから」