決行地域の一つである氷獄、青花師団旗艦へ戻ってきたアザミネは思わぬ顔と遭遇する。
向こうの壁さえ見渡せないほどの大部屋いっぱいに敷き詰められたテーブル席、それを埋め尽くしてなお余るごった返す人波。
来るまででおおむね予想がついていても、目に入った瞬間思わず舌打ちが漏れた。何のために時間をずらしたと思ってる。俺の後ろに続いてレーンへ向かう人間皆、似たようなことは考えているだろう。
青花旗艦船団のうちの一隻、その胃袋を担う大食堂。だが昼時を過ぎてなお席はろくに空きもなく、配膳待ちの列は途切れそうもない。
トレーを取りながら思い返したのは前に工廠船で見た避難民だ。居住船の沈没のあおりに例の作戦もあって、そもそも人が多すぎるんだろう。その前には多少の知恵なんざ絞ったところで無駄らしい。
思考に鈍る足は順繰りに進む列に並ぶには邪魔っけだ。後ろの奴のトレーに背を小突かれながらさっさと歩を進める。
仕切られた配膳板の上、一番大きなエリアにコーンミール。もう少し小さな区切りの中に申し訳程度のバイオベーコンと味付きバイオビーンズ。ドリンクホルダーにコーヒー。流れ作業で盛られていく飯はこんな日でも大して代わり映えはしない。
そんな感想は最後でいきなり裏切られた。普段ならドロが入る一番狭いスペースに下ろされたのは、明らかに瓶から出したままの栄養錠剤。
「ドロは?」
「切れました」
配膳員が返すのは今トレーに乗ったと同じ味も素っ気もない台詞。もう飽きるほど同じことを聞かれてるんだろう。
時間をずらしたのはいよいよ完全に裏目だ。さっさと席を探して食うしかない。
とは言ってもその席さえすぐには見つからない。何せ配膳レーンがまだ続いているかのように、形成された列が落ち着く場もなくそのまま移動しているような状態だ。
遠目に見かけた空席も、向かうまでもなく他のレーンから来た奴が埋めていく。
それでも先頭の方から一人消え、二人消え、気づけば大分列の先の方。部屋の中の位置取りとしてももう中心辺りだろう。
360度のテーブル席を見回す視界に席を立つ一人が映って、間髪入れずにそちらへ足を向ける。幸い他に近づく奴はいない。
空席の向かいへ座る男に声をかけるのは手のトレーをテーブルへ下ろした後。持ってちゃまだ動けると思われる。この中からもう一度探し直すのは骨だ。できればここで決めてしまいたかった。
「ここ、貰――」
言葉が切れたのは、そいつが顔を上げた瞬間に血の気が引いたからだ。
板が手にあったままなら、ひっくり返して酷い音がしたに違いなかった。だが幸か不幸か手は空のまま震えるだけで、鳴るのは息を呑む音程度。それさえ大食堂の喧騒があっちゃ目の前にすら伝わらない。
顔立ちにははっきり覚えがある。老けちゃいるが目の合わせ方も、その次に変ににやける癖も同じだ。間違いない。
そんな内心なんざ気にもしない様子で向こうは驚きもあらわに、喜色まで出して声をかけてくる。
その声色に無神経ささえそのままなモンだから、いよいよ進退窮まった。
「アザミネ君? アザミネ君かい? 生きていてくれたか……!!」
「…………どうも、教官」
「そう言ってくれるのかい? いや、懐かしいな、もう教官じゃあないんだが」
おまえたちがそれを言うのか。その言葉を押し殺し、やっとのことで喉から声を絞り出しながら、指の震えを隠して板を持ち直す。
そりゃ向こうからすれば不審極まりないだろう。だが差し向かいなんて御免だ。それにあの頃から話好きのこいつのこと、先に席を立ってくれるなんざ望み薄。さっさと席を変えるに限る。
「いやいや、待ちなさい!
そりゃあ君たちにとっちゃ、今更僕らと同席なんて思うところもあるだろうけどね。食べていきなさい。席、探し直すとなると大変だろう」
だが振り返った周囲に空席はない。できても後続が次々に埋めていく。丁度さっき俺がしたように、席を立つ奴とほとんど入れ替わるようにして。
出る側から見てみればあのコンベア状の席探しの隊列は壁じみて出る側の動きまで制限していて、出られる方向といえば出口側だけだ。
待とうが状況はさして変わらないだろうし、何よりそんな時間はもうない。腹が減っているのもそうだし、繰り延べた予定は後へつかえないギリギリだ。
喉奥の舌打ちは聞こえないと分かってのことだ。返事は乱雑に、引いた椅子へ腰を下ろしてから。
「みたいスね」
目は合わせないまま、視線は無味乾燥な食事へ向けて。
文字通り道がない以上、残る選択肢はさっさと食べきって出ていくしかない。山盛りに掬い取って啜るコーンミールには案の定味がなかった。
飲み込むより早くスプーンを刺して、向かいの相手など一瞥することもなく。話しかけるなと全身で訴えていることなんか分かっているだろうに、そんなことはお構いなしの調子で向こうはべらべらと楽しげに話しかけてくる。
教官は教官でも色々いたが、せめてこいつじゃない方がよほどマシだったろう。舐めた口を聞けば即座に鉄拳を飛ばす、露骨に駒を見る眼で俺たちを見ていた奴。あの頃は皆が何よりも嫌っていたあいつの方がよほど。
「それにしても大きくなったな。今いくつだい」
「15です」
「3年ぶりか。君くらいの年の3年は本当に大きいからねぇ。背も随分伸びたし……顔つきも、随分良い男になったじゃないか。
眼は替えたのかい? 前は左右、違ったろう」
「はい」
「そうか。つつがなく稼げてるようで何よりだよ、暮らしには問題あるまいね。
これまではどこにいた? ああ、こんなことになる前だよ」
「フリーランサーに」
「ああ、なるほど。君がいるなら彼らも心強かろうね。
君のグレムリン、今でも動いているかい。ケイジが崩壊してから動かなくなったのを随分見たが」
「はい」
「そうかそうか、それは良かった! なるほど、生き残れているわけだ。
ああ、連絡先いるかい? 君は教えてくれって言ったってくれる方じゃないだろうけどね。何かあったら」
顔も上げずに生返事を繰り返す相手に、よくもまあここまで延々と飽きもせずに話し続けられるものだ。会っていないとは言ったって、十中八九耳には入れているだろうに。
それとも聞いた話と今とで、真偽をできる限り照合しようとでもしているのか。探るところが多いのを見れば可能性としてはその線だろう。
そう合点が行けばなお、苛立ちと憎悪が腹から上る。使うと決めれば口を塞がせる口実も話の端緒も、隠しもしない棘の言い訳もいくらだってあった。例えば半端に残ったまま全く減らないトレーの中身に、それを放ったまま紙片に書きつけ始めるペンの動きに。
「食べないんスか? 席、早く空けた方がいいでしょう。こんだけ混んでんだ」
「ああ、すまないね。せっかく会ったものだから。だが、教え子がどうしているかというのは気になるものだよ。
こんな時世なら猶更、次にいつ会えるのかも分からないんだし──」
『西方行き特別艦『オオトビウオ』の乗船券をお持ちの方をお呼び出しいたします、船団空母3番艦デッキへお集まりください。繰り返します……』
こちらの話を聞いたようでいてまったく受け入れないその言葉を止めたのは、割り込んだ船内放送。それがタイムリミットだった。
『大とびうお座星雲を西へ』、あのジャンクのデカブツどもを相手取る作戦の合言葉に関連付けた単語が複数入った放送は、作戦参加者の呼び出し符丁だ。いよいよこうしている時間はない。
幸い、向こうの長口上の間に皿はほとんど空。残る錠剤を乱雑につかんで口に放り込み、そのままコーヒーで流し込んで立ち上がる。
もう顔を見ることもない。そうあってくれ。二度と。
そう思っていたのに。
「死ぬなよ」
俯いたままの立ち姿にかけられた言葉がいやにはっきり聞こえたのと、顔を上げたのは同時だった。
視線の先では奴が真剣そのものの面持ちでこちらを見据えている。さっきまでのへらへらした調子が嘘みたいに、聞こえてきた声色と何ら変わることなく。
トレーを持とうとした手は縛られたように止まって、けれど頭はそれにさえ気が付かない。
気にすることなんかない、きっと演技だ。いや、それにしては。
一瞬が幾分にも引き延ばされたような中での葛藤は、向こうからすれば物も言えずにただ呆然としているだけだ。
それがよっぽどおかしかったか。目の前の顔はすぐ、普段と同じようににっと崩れた。
「どうした。行かないのかい?」
その台詞が耳に届くや否や、全身へ血流が急速に戻ってくる。正気を取り戻した頭は今するべきことを思い出して、さっきまでの重しが取れた手脚を自在に操り人をかき分けるようにして大股にその場を後にする。
もう一瞬だって、同じ時間も空間も共有していたくはなかった。その理由は嫌悪もあれ、第一はといえば羞恥心だったろう。
恥ずかしかったし、何よりも許しがたかった。そう言われるほどに凍りついていたことも、それをわざわざ奴の口から指摘されたことも。
それを思えば蘇ったはずの思考は再びみるみる鈍って、幾度だってあの台詞をひとりでに繰り返す。
何なんだ。どうして。よりによってお前にそんなことを言われる理由がある。そんなに駒が減るのが嫌か。
そう思いながらトレーを回収スペースに投げ込めば、風に乗ってひらり飛ぶものがあった。空中で掴んで広げれば、書かれているのは乱雑な文字。中途の記号から判断すればおそらくメールアドレス。
あの時間でねじ込みやがったのか、そう分かれば一つ鼻が鳴る。読めるかもわからない、普段なら迷わず捨てていたはずのそれをポケットに突っ込んで歩き出す。
「死んでやるモンかよ。言われなくたってな」