しかし彼と相対した男は、己のグレムリンを『相棒』であると屈託なく答えた。
一方でその光景を思念として受け取るアザミネの胸にある感情は、決して快くはなく。
『もしも君たちが棺の外で死ぬようなことがあれば、グレムリンはどうなると思う』
教官がいつか聞いたことへ、返すべき模範的な答えは一つだった。
『テイマー登録をフォーマットされ、後輩たちの乗機になります』
いくら生体認証とテイマー登録番号が機械と人を紐づけても、どちらかが没すればそれを呼び戻す手段はない。
そうすればテイマーは新たな機体を求め、グレムリンは初期化された上で新たな乗り手のところへ旅立つ。
グレムリン・フレームへ接続するパーツを交換できるように、テイマーとグレムリンもまた交換可能な『グレムリン』という兵器を構成するための一パーツにすぎない。
授業はそう結ばれたことを覚えている。けど誰だって大して信じちゃいなかった。
きっとアルテアの連中は、俺たちが自分のグレムリンに愛着を持つのに良い気がしていなかったんだろう。
識別名は要るがテイマー自身に付けさせはしなかったのも、きっと。
愛機がもし何らかの理由でテイマーを置いて墜ちたとして、その死を悼むよりも先にテイマーにはすべきことがある。
新たな乗機を見つけることだ。それも可能な限り速やかに。
専門訓練を受けたテイマーはグレムリンがない限りただの人にすぎない。
それも操縦棺の中以外のどこにも生きることのできない、腹の中のガキみたいな生き物だから。
だが命を預けるものへ、
それも自分の体格、指向、クセ、その一つ一つに合わせてカスタムするものに愛着を持つなって方が無茶だ。
よっぽどの冷血野郎じゃない限り誰だって、テイマーはグレムリンへ特別な何かを持っている。
いくら外からそれを遮られたって、内から生えてくるものを止められるはずもない。
今になって思い知るそれはどうしようもなく真実だ。
今も青花工廠のハンガーに屍として押し黙る『サーシオネ』、もう「かつての」と言い切るほかない乗機をまだふと思うことも、
あの今まで見てきたどこよりも色濃い死と、それまで『サーシオネ』と飛んだ空を「ふと」と言うしか思い出せなくなっていくことも、
音もなく遠ざかっていくそれが時折無性にから恐ろしくなることも、
今乗る『フォールスビーク』、ただ動かせたから動かしたというだけの、『サーシオネ』へよく似たそれへ緩やかに傾いでいく心も、
テイマーとグレムリンはどれだけ愛着があろうと替えることができ、その事態に際して愛着とは障害にしかならない、その揺るぎない証明に他ならない。
あの高高度全翼機の主へ答えたテイマーのように、迷いもなくグレムリンを相棒だと言い切れたらどんなに良かったか。
殴りつけたコンソールはただめちゃくちゃに押されたボタンの組み合わせだけを認識して、無機質なビーブ音を返した。