week29
新しいパーツ、システム、機能。
それに玉突きじみて追い出されるように、シニカの姿は格納庫ではなくハイドラのパーツマーケットにあった。
一般的に、機械が設計および表記スペック以上の能力を発揮することは有り得ない。それは明確な目的をもって製造された存在としての必要十分条件を満たしている保証であり、同時に限界である。
故にウォーハイドラのパーツはカタログスペックの通りに機能する。機動力、旋回速度、噴霧量、貯水量、重量、防御性能、どれをとっても適切な運用の限りで記載と相違することはない。
そのためにわたしは、実地のマーケットへはほとんど足を運んだことはなかった。
操縦棺の中に身を置いていようともそこから参照できる電子カタログがその週のマーケットに並んだパーツ性能を網羅し、添付された写真と3Dモデルがパーツの外観を伝える。元よりHCS規格に適合したパーツのみを取り扱う市場において規格確認の必要などあるはずもなく、自分が作製したパーツの販売もマーケットそのものに委託できる。
わたし自身がその場に存在する必要はない。
けれど今、わたしは霧の漂い、それすら吹き消しそうなほどの喧騒の最中に立っている。聳え立つ建造物のような巨大なハイドラ用パーツの居並ぶマーケットの片隅に。
注目すべき話し手を見つけられないわたしの集音機構は働かないままで、話し声は録音を再生したように未調整の音量で響いてくる。
次回ミッションに向け、小隊隊員表とともに報知された霧濃度予報は51%。その通り先週の戦場よりはずっと視界は晴れつつあった。
しかし、それでも。
わたしはこの喧騒に、集った人々に、残像領域の実市場に、
身を置くほどの価値を感じたかと聞かれれば、ノン、しか答えを持たなかった。
そもそもの切欠はといえば、HCSの新機能の使用許可が降りたためだ。
オーバーロード。撃墜という危機的状況下において発揮されるウォーハイドラのスペックを超えた稼働。パーツの自己破壊すら引き起こすほどの高出力状態。
大隊上層からはこのところかなりのハイペースで新機能への認可が降りていて、それと同等の速度でハイドラライダーたちはその特性を理解し実運用している。
そしてその割を食ったのが、ウォーハイドラを専門とする整備士たちだ。
ライダーには整備士を兼業とする者も多く、その筋から情報が入ってくるとは言うものの。必要となる整備技術と作業量、そしてウォーハイドラに対する知識量は日に日に増え続け、ついにはわたしの契約している整備士のキャパシティを超えた。
オーバーロードを使用するにせよしないにせよ機体の適応調整として丸一日欲しいと言われた時、まずわたしは契約の打ち切りについて思案した。これほど長く、続けての整備時間を要求されたことは初めてだったからだ。
けれどそうしたところで、来週の出撃に向けた代役はすぐには用意できないだろう。そして『丸一日』を使うべき所用が思い浮かんだところで、わたしはその申し出を許諾した。
かくしてわたしはここにいる。
見て回るパーツ種別はさほど多くない。わたしが電子カタログを参照する際、それほど多くのページを必要としないように。
火器類は最低限使用できるもののみを倉庫に取り揃えてあって、今すぐに新しいものへと換える必要はない。頭部のスキャン機能はより多数の敵機へ異常を誘発する役割においては不要だ。腕部は扱う火器のない限り重要性が低い。術導肢や誘発装置は時折有用なものこそあれ、たいていは自作のものの方がずっと性能が良い。
脚部、ブースター、補助輪、レーダー、操縦棺。
結局のところ普段はカタログとモデルで眺めているものの実物を眺めるに過ぎず、わたしが頼りとしている性能表示は人をかき分け展示パネルを参照する他なかった。そのブースもいくらかは実使用に堪えるとは思えない低性能な試製パーツがスペースを取っている。
例えば整備士を兼ねるような、パーツ設計や細部調整、メンテナンスまでも担当するようなライダーであればこの空間は確かに望ましいものなのだろう。
けれどわたしには、単独で静かに数値条件のみを突き合わせ参照し総合的なアセンブルを導き出せる棺内アクセスの方がずっと好ましかった。
再確認しただけだ。ずっとこの場へ足をろくに運びもしなかった理由を。
それでも今一度訪れておく必要があると思ったが故に足を伸ばしたのだ。いずれ集合すればウォーハイドラを形成するパーツ、ウォーハイドラというものの奇妙さの源泉がそこに眠るかもしれないと仮定して。
個々のパーツは決して表記以上の性能を発揮しない。しかしウォーハイドラそのものは、その範疇に収まらない。そのようにわたしには窺えた。
わたしは決してハイドラの構造にもその設計思想にも明るくない。少なくとも、わたしが契約を打ち切ろうとしたあの整備士よりは。
しかしオーバーロードという機能は言わずもがな、大隊が編成されてから増え続けている機能を受け入れるHCSそのものの拡張性、そして調整されているとはいえ古代遺産と呼ばれるパーツを、そして本来決して接続されないはずのパーツさえも運用可能とするその規格、そしてわたしを始めとする霊障機のライダーたちが日常的に振るう霊障攻撃というもの。
そのどこまでがハイドラ本来のスペックであるのか。それはハイドラライダーにも整備士にも理解できるものではないだろう。
もしもそのいずれかが設計を超越したものであるとするなら、その源泉はどこにあるのか。
ヒトが非常時において考えられないほどの能力を発揮するのは、自らの身体に支障を来すおそれもあるそれを脳が抑制しているためだ。
同様のものと仮定するならウォーハイドラにもまたそうした機能が存在するのだろうか。
機能を抑制し、また非常事態を自ら悟ってそのリミッターを解除する判断能力。
新たに自己へ付け加えられた機能を理解し運用可能にする自己進化能力。
搭乗者の、あるいはハイドラ自身の心性によってサイキック――霊障現象を引き起こすほどの思考能力が?
夜闇の中、蛍光灯の光が灯る格納庫に戻れば、疲弊した整備士は壁にもたれて眠り込んでいた。
「お疲れ様です。整備の首尾はいかがですか」
労りでなく利便のための言葉をかければ、目の前の体がびくりと跳ねて飛び起きる。すいません、ちょっと疲れちゃって、と述べられる陳述は大した意味を持っていないだろう。聞き流す。
「首尾はいかがですか」
相手の言葉を遮るようにもう一度問えば、少し考え込んだ間を置いて言葉が戻ってきた。
「はい、HCS-オーバーロードへの調整は無事に完了しました。お時間をいただき申し訳ございません」
「その他の部分は」
「駆動部、エネルギー配送系、エンジン接続、各部点検の上調整完了しています」
「かしこまりました。ありがとうございます」
「ご依頼の通り、操縦棺を始めとする操縦系統は最低限の調整で済ませました。……本当に、あのままで構わないんですか?」
「わたしがこのハイドラの所有権を得て以降、この機体はずっとあの状態のまま稼働しています」
「そうですか……」
わたしは彼の処遇をまだ決めかねていた。来週までならば猶予はあるだろう。
ハイドラのアセンブルを大きく変える度その人員は変わっていて、彼はまだ三週目――領域殲滅兵装の運用と同時に雇った整備士だ。
やはりまだ早すぎるだろうか。そう考えている最中に。
「来週も、このハイドラを見せていただいてよろしいでしょうか」
と、彼の方から申し出てきた。その口調に違和を覚えて、問い返す。
「解約はまだ申し出ていません。何かそう改めて聞く理由がありましたか」
「このハイドラには――10本目の首があるようなんです。
その精査をさせていただきたくて」
week30
それはシニカにとり歓迎できるものでも、かといって無視できるものでもなかった。
「おそらくはFCSに近いパーツであると考えられます。ただFCSよりも、更に言えばパイロット休暇中の出撃時に使用されるAIよりも高度な演算が可能なもののようです」
発見された「10本目の首」を精査した整備士はわたしにそう告げた。結局のところその首との接続は完全に破断していて、これまでの出撃において何ら影響はしていないだろうとも。
だが彼はそれの果たす、あるいは果たすべきだった役割には既に察しがついているのだろう。わたしですら概ねの理解はしているのだから、わたしよりもハイドラの構造に詳しい彼ならば当然のことだ。
「わかりました。当該パーツは機体から取り外し、ガレージに保管してください」
「……本来、あのパーツは操縦棺の付属物となるべきものだと思います。そちらに組み入れて同時に操縦棺を改修するべきじゃないかと思うんですが」
「却下します。現状の操縦棺で、このハイドラは問題なく稼働していることは先週申し上げた通りです。軽量化を推し進め機動力に特化した現状の機体状況において、デッドウェイトが僅かでも存在することは看過できません」
「……正直に申し上げます。あの状態でハイドラが動くとは思えません」
「でしたら出撃記録をご参照いただければ。大隊の映像記録、戦果の計算記録、いずれでも構いません。少なくとも、大隊の動的機関欠如機や重量超過機よりは障害程度が軽いことはご確認いただけるでしょう」
「…………」
整備士は眉根を寄せて一度目を伏せた。その思案が何を思うものかわたしにはわからない。奇妙だと思っているのはハイドラかライダーか、あるいはそのいずれでもなく、まったく別のことを考えているのか。
これまで契約してきた整備士よりは口数の多く、また同様にこちらへ意見することの多い彼は、わたしの方から切らなくともあまり関係の長続きするようには思えなかった。そう分かる程度に判断材料も多いものの、今のその脳内は読めなかった。
やがて彼は根負けしたように、
「……わかりました」
と声を絞り出した。
整備士のトラックが去っていったのを確認してから、格納庫の扉を施錠する。迎える相手などそうそうはおらず、いつもわたしが出向くばかりだから問題はない。
そうして踵を返し、向き合う。先刻『キッシンジャー』から取り出された、通常のものに比すればずっと小さなパーツに。
とはいえそもそもが巨大なハイドラの内蔵物であるそれは、小型と言えども見上げるほどもある。ぐるりと周囲を回れば、埃や油で汚れきった外装を穿つように配されたコネクタを見つける。つい先程まで破断したコードに守られていたと見えるそこだけは目に見えて美観を保っていた。
今一度自らの状態を確認する。ミストエネルギーの余剰を得たエネルギー蓄積系、全身を動かす駆動系、それを統括し思考する人工知能状態、そしてそれを悪性プログラムから保護する対外ファイアウォール。
オールグリーン。
その確信を持ってから、わたしは無造作に剥き出しのコネクタへ自らの腕を突き入れた。
『キッシンジャー』の操縦棺は、HCSへ接続されていない。
機体内、棺が収まるべき中空に違いなくパーツそのものは配されている。戦場において他機と連絡を取り、また残像領域における広域ネットワークに接続するための無線接続も、操縦棺に標準搭載されるライダー用内蔵コンピュータも配備されている。だが、それだけだ。本来操縦棺に存在するHCS統制機構への接続はない。
それはとうの昔に、わたしがこの機体を手にするよりも前に失われている。故にこの機体は『死んだ』。統制機構は操縦棺を認識できず、そのためいかなるライダーにも動かすことのできない機体として『キッシンジャー』は残像領域に捨て置かれた。
その死を覆したのはわたしだ。
手足、指先、脊髄部延長コード、頭髪に擬した微細接続端子に至るまで機体のあらゆる部位を端子として、あらゆる他の機体へアクセスし制御下に置く。
そうした目的のもと創られた義体を持っていて、HCSに疑似的な形で操縦棺として受容されることのできた、わたしだ。
わたしは今まで、そう思っていた。
わたしがこの機体を操れるのは、わたしが現在使用する義体の特性故だと認識していた。
それに根本的な誤りがあったとしたら。
現在のわたしではなく、『キッシンジャー』の特性こそがこの事態を生んだとしたら。
そもそもこの機体が、操縦棺を搭載し、その中に人間のライダーを収めることそのものを想定していなかった機体だとしたら?
『キッシンジャー』が、それを統制するAI専用の機体として開発されたのだとしたら?
接続を完了する。敵対プログラムの兆候はない。
扉をノックするようなPing送信。一定の間隔を置き、一度ならず続ける。
わたしの側からエネルギーの供給はされているはずで、整備士の見立てでもこれはAIだ。『生きて』いるならば、応答はあるだろう。
それがなくとも構わなかった。
むしろわたしは、それがないことを確かめに来たと言っても良い。
ないのなら、わたしは。
その思いは何気なく、当たり前に裏切られた。
高い電子音のPongが返った。女の声がした。
『どちらさまですか?
こちら『ライク・レイク・キッシンジャー』。
わたしを直してくださったのですか?』
week31
きっとこの残像領域の何よりも、己に近しいものと。
出撃、帰投、新たな購入パーツの選定、機体および使用パーツの整備、次回ミッションのためのアセンブル確定、パーツの作製発注、次々回ミッション選定と選択申請。そうしたハイドラライダーとしての通常業務、わたしがこの三ヶ月に渡って行ってきた常のことの合間に、わたしはかの人工知能からの聴取を続けた。
その名と来歴、知る限りの己の機能、今のこの状況をどれほど把握しているのか。聴取というよりは「洗いざらいを吐かせた」と呼ぶ方が適切かもしれない。
名はライク・レイク・キッシンジャー。わたしのウォーハイドラの正式名称と同じ名を、女の声は名乗った。故にわたしは、それを彼女と、あるいは彼女の求める通り、レイクと呼んだ。
人間の代替としてウォーハイドラを統制し、万一操縦棺と人を載せることがあればその補助を行うべく仮想人格を搭載されたAIであること。
幾度も戦場へ出撃し、その果てに機体大破によってハイドラとの接続を断たれ、『キッシンジャー』のデッドウェイトとなっていたこと。
待機電力さえ底をつき、現在時間の把握、メモリの検索さえおぼついてはいないこと。
最初はそこまでしか聞き出すことはできなかった。たまたま先週の出撃において使用しなかった余剰分のエンジンを接続し十分なエネルギーを供給し続け、やっと彼女は何かを語れるだけの機能を、そして言うなれば意識を取り戻した。
『こんにちは、シニカ』
「はい。調子はいかがですか、レイク」
『良好です』
今のところは、こうして会話が可能なだけの関係性を保てている。
補助AIとしての機能も期待されたためか、レイクはわたしに比してより社交性と他者への関心を持たされているようだった。そのことも幸いし、彼女はわたしにそれほどの悪印象を抱いていないらしい。
『では、メモリのコピーを』
「そのために参りました。もう転送を開始しています」
それはわたしが、現在の『キッシンジャー』の統制AIだと告げたにもかかわらずだ。
わたしたちは機能のために常に代替されうるものであり、個々が持つ人格や特性、その連続性は必要以上に勘案されるべきではない。
わたしたちは同様に『キッシンジャー』を運用するための機能であり、機体そのものに対する固執はない。
ウォーハイドラを構成するパーツがより高性能なそれへ入れ替わり続けるように、わたしたちが入れ替わったところでその性能が劣っていなければ問題はない。
レイクはそう考えているようだった。平たく言えば、彼女はわたしを同類であると考えている。わたしもその認識のために受ける損害はなかったから、特にそれを訂正はしなかった。
そしてその要点、わたしが彼女よりも優れたライダーであること。それを確かめるために、あるいは外界の情報を求めてか、彼女はわたしの出撃記録の閲覧を求めた。
わたしはその用意のために、この一週間のうちのいくらかを費やした。正確には、彼女に渡すべき情報を選定するために。
彼女がどの時点で活動していたライダーであるのか、どれほどの実績を持つライダーであったのか、その時のわたしは未だ彼女からそれを引き出せていなかった。故にわたしの優越を証明し、彼女に『キッシンジャー』を明け渡さないために、どれほどの戦績を示せば良いのか判断がつきかねた。
そして最終的に選ばれたのは、わたしがもっとも目覚ましい戦績を挙げた時の記録だ。
『……いつも、このような多数戦闘を?』
「イエス。現在のハイドラ大隊は、各ブロックに所属機を20機前後振り分けて任務にあたる小隊制度を採用しています。
過去に召集された大隊の記録では、バディあるいは単独の機体による散開戦を行ったそうですが。あなたは、その頃の?」
『はい。
私は第三次大隊の所属でした』
ハイドラ大隊は過去に三度召集され、今回が四度目だという。
集団戦と散開戦においては求められる能力も、必要な能力もまた異なるだろう。その差異を鑑みた上で、彼女はわたしをどう評価するのか。
その答えは存外あっさりと提示された。
『私は単独、あるいは僚機とのみの戦いのため製造されました。
多数戦においては、あなたの方が勝るでしょう』
戦場には常に変容があり、ハイドラのパーツにはそれに合わせた流行が生まれる。
彼女はハイドラが単機戦を主としていた頃のパーツで、集団戦闘となったこの戦場に自らが適合していないことを悟っていた。
もはやこの戦場に、今すぐに自らを組み込む余地はないことを悟っていた。
『……私はどうなるのですか?
廃棄あるいは、新たなパーツの素材に?』
「現在のところ、あなたの処分については検討していません。このサイズのAIひとつ分の収納スペースならば倉庫に用意できます」
破棄による修復材料への、あるいは他パーツの部品としての転用は不要パーツの行き先だ。もしくは他者へその権利を委譲された上で同様の道を辿る。
けれどそのどちらにするにも彼女はいささか古すぎるように思えた。
それとともに。考えたくはない未来ではあれど、いつか訪れることとして。
「もしもわたしが、ライダーを辞す時。その時はあなたへ、『キッシンジャー』を返還しましょう。その時のために、わたしはあなたを今すぐ破棄することはありません」
どれほどまでにわたしがこの残像領域を、そして大隊のライダーであることを好ましく思ったとしても。
わたしはいつか旅立たねばならない。わたしの逃げ続けるべきものの気配を感じ取ったならばすぐにでも。
しかしそれまでは、『キッシンジャー』はわたしのものだ。
それに、彼女が彼女の機能の全容を知っているとは限らない。接続の破断時にそうしたことが起きていなかったとはいえ、何らかの手段で遠隔的に『キッシンジャー』を簒奪される可能性は未だ残っている。
霊障現象。ハイドラが呼び起こす不可思議な事象の総称。
それがハイドラあるいはライダーの心によって呼び起こされるならば、その可能性は断っておかなければならない。
ひとかけらの、その手に落ちるのがいつかもわからない希望によって。
『……本当ですか?』
「はい」
『……ご厚意に深く感謝申し上げます』
「礼を言われることではありません。それまでは引き続き、『キッシンジャー』はわたしが運用します」
『もちろんです
けれど……いつか戦場へ戻れる日が来るというだけで、そう言わずにはいられません』
やはり彼女の本質は戦闘用のAIなのだろう。
戦場へ赴きその役目を果たすことを存在意義とする、そしてそのことへ喜びを抱くよう設計された。
『私は人の代替となるために製造されました。
人の代わりに霧と硝煙の戦場へ身を投じ、
人の代わりに死ぬことを望む機械です。
――あなたも、そうでしょう?』
そしてわたしの本質もまた。
彼女はもうそれに気づいている。
しかし彼女は知ることがない。
わたしがその問いにイエスと答えられないことを。
そして本来であるならば、それは迷わずイエスと答えるであろう問いであることを。
week32
しかし『禁忌』の本質を知るのは、当のメフィルクライアを名乗る声の主であった。
メフィルクライアは語る。それこそはこの世界を滅ぼしては蘇らせる再構築のシステムであり、己はその輪廻を停止せしめた太古の機体『ドゥルガー』の一部であると。
『そう! わたしこそが――アンビエント・ユニット! 残像領域永劫環境装置! ドゥルガーは禁忌を滅ぼし、禁忌の全てを焼き尽くし、この世界を残像にした。その行為こそが……わたしなのです!』
滅ぼされる世界。その世界へ蒔かれる種。発芽し、生育し、刈り取られる文明。
わたしはそのサイクルに強い既視感があった。
それは『竜』のかつて行ったことだった。わたしの滅ぼすべきものが、いかなる犠牲を払おうとも滅ぼされるべきものだと定められたのはその行いのためだった。
星に種を蒔き、知的生命とその文明を育て、そして育ったその世界を喰らい己の糧とする。
そうして己という存在の内に広がる『領域』を限りなく拡大し続ける。
『竜』とはそういう存在だ。有意志存在であれど、滅ぼす方法はあれど、それが生命であるかどうかは限りなく否に近い。
だがわたしの基準からすればそれは確かに生きている。自らの機能を十全に使用し、そして自意識を持ちながら己の肉体でもってその意志を発露している。
その肉体を滅ぼし、その機能を停止へ追い込み、その自意識を観測不能とする。
それがわたしの使命である。竜殺しとして建造されそのために活動することに最大の喜びを感じるようつくられたわたしの。
けれどこの残像領域にいる間、そのための羅針盤は、竜の『領域』を穿ち裂くための刃の先はくるくると定まらぬところへ針を向けていた。
文明を刈り取るべくつくられた影の禁忌。竜の名を冠する未確認機。敵機のいるわけでもない、戦場に広がる霧の最中。
そしてわたしの僚機、レイジングヴァイパー。そしてそれを操るハイドラライダー。
そこに感じる淀んだ気配は慣れ親しんだものに似ていた。その隣に身を置く日々は、回路に響く微弱な敵性アラートをわたしの意志でもって無視し続ける日々は、かつてわたしが過ごしたあまりにも長い年月によく似ていた。
week33
既に出現から数週を経たそれに対し未だ対抗策を打てない企業連盟にもはや求心力はなく、連盟会長・バルーナスの地位も今や風前の灯であった。
信用というものは得ておいて損することはない。
もしもそれに損があったとしたら、悪名の方向において信用を得てしまった時だ。
あるいは。
『……私は、無力だった。明日には、君たちに払う報酬にも苦労するかもしれない。結局、私の全ては砂上の楼閣に過ぎなかったな。崩れる時など、一瞬だ』
こちらに信用を抱いた相手が、割に合わないことまでも任せようとしている時だ。
音声メッセージは疲弊しきった声で、切々と内心を伝え続ける。ここ一月あまりにおいて張られ続けていた見え透いた虚勢はもはやそこにはなく、聞こえるのはただ老いさばらえた老人の悔恨にすぎない。
もしも本当に報酬が払われなくなるのなら、わたしがかの老人に与しその信用を勝ち取る必要性はゼロに等しくなる。ただでさえその信用というものを『禁忌』との戦闘で得られる特別報酬と引き換えにしている状況だ。
信頼とは生存のために勝ち取るものであり、あるいは生存のため他者を認定するものであり、信頼のためにそれ以上の価値を持つ何かを犠牲にするものではない。
今に至るまでわたしが行ってきたのはそうしたことだ。
僚機と連絡を取り、取引に応じた相手の元へ赴き、ユニオンへと飲めもしないアルコールを持ち出し。それはすべて、ライフラインとしての他者との関係を構築するために過ぎない。
情報とは多く他者よりもたらされるもので、それを持たないことはどこにおいても手損につながる。それはこの残像領域においても例外ではない。
否、小隊制度が採用され、常に他機とともに並びながら自機のみでは打開できない状況へと送り込まれるハイドラ大隊に身を置いている現状において、他世界にあった時よりもその重要性は増していた。
戦績を挙げた優秀なライダーについての情報を収集し、当該のライダーに関わる機会があればその風評を耳にしたこと、そして称賛を伝達する。わたしがそうした情報に着目するライダーであり、戦績に対する意欲を持つことを伝達する。
機械が意志を抱く可能性はあれども謀略を巡らし自らの優位について計算する能力はない、あるいはその能力を持てども自らがその対象となることはないとの認識は多くの有意思存在に見受けられる誤りである。適切な学習を重ねその結果を発揮する機会があったならば十分にやり遂げることは可能で、今わたしが立つのはそうした地平である。
今現在のレベルに到達するまでに学んだことは数多く、わたしは未だもってそれを忠実になぞり続けている。
軽度の構築努力であっても、事あるごとに回数を重ねることでより強い効力を発揮すること。
関係深度よりも関係継続の長期化を意識して行動する方が多くの場合においてよりメリットが見込めること。
関係構築努力の成果はおおむねわたしの『機械らしい』振る舞いの度合いに比例すること。
そして、ありもしないところから捻り出す甘言の数に反比例すること。
ハイドラでの戦い方について他のライダーに伝え、またその情報を得たことは数多ある。戦場の外で出会ったライダーたちに対し、その戦場で、あるいはマーケットでの働きを評価し称賛したことも。
それは打算の産物だ。だがわたしは、その言及ともたらす情報そのものに虚言を混ぜたことは一度としてない。
わたしにとり、信頼とはそれ以上に価値あるものを犠牲として得るものではない。
わたしの発言の真実性を、そして自他を問わぬ有用な働きの価値というものを貶めて得るほどに尊いようなものではない。
week34
しかしルオシュが大隊所属員へ送ってきたメッセージは、復讐を否定するものであった。
己の戦っていた敵は企業連盟という体制そのものであり、バルーナスという個人ではないと。
『首を変えたって、名前を変えたって、諸悪の心臓が変わらなければ全くの無意味だ。俺は戦う。俺を必要とする人のために』
変わらず夢想に浮かされているようなルオシュの言葉は、不思議とその一部については真を突いているように思えた。彼の言う体制というものはわたしにはどこかウォーハイドラとの類似があるように見えた。
その九つある首のいずれか、あるいはそのすべてが新たなものへ換わろうと、ハイドラがハイドラとしての同一性を保っていることには何の疑問も差し挟まれることはない。その登録名に同一性を見出すライダーもいようが、それはあくまで認識上の名称であり、電子登録ひとつで変更可能なものでしかない。
アセンブルの全体傾向、戦場で果たす役割。そしてそれを決定するハイドラライダー。自意識と決定権の所持者。ハイドラの心臓とも呼ぶべき操縦棺の中の何者か。
それこそがハイドラの同一性を決定付け、その進むべき方向を決めてゆく。
行動方針とそれを定める指針。
それこそが同一性の核であり、それは規模の多寡や生命の有無を問わない共通事項である。
そこにある差異は、それを自分で決定しうるかの問いのみだ。
自己の意志に沿って自己の行動を決定しうるかの環境的・状況的差異だけだ。
その指針を己の意志でもって動かすことを、わたしは根本として許可されていない。その存在目的と主命から逸脱するわたしの意志というものはそも不要であり、わたしの意志は他者に定められた指針とそれを実現するために適した行動を選択するためだけにある。
もはやわたしの指針というものは、誰にも動かすことなどできない。これまでもこれからも、どんな世界の誰に出会おうとも。
わたしはその指針に従い生きる他にはない。
例えそれが、歯車の何もかもが狂い果てた諸悪の心臓であろうとも。
week35
その単語に触発されて、シニカは思い起こす。
それが己の行き先を定め、二度と止められぬ不滅の鼓動を始めた時のことを。
[『竜』の敵対行動を確認]
[脅威度レベル最大 即時排除モードへ移行します]
[機構『竜殺剣』起動 READY]
目前には何もない。ほんの数フレーム前まで存在していたはずのすべては、竜の『領域』に取り込まれて消失した。
生命の有無も無機有機の種別も何ら意味を持たず等しく。
そこにあったすべての代わりに一瞬にして荒野が形を表して、わたしの殺すべき竜はその中心に立ち尽くしていた。
[『竜殺剣』起動シークエンス 20%]
[『竜殺剣』起動シークエンス 40%]
[各部オールグリーン]
わたしもまたその姿を視界センサの範囲内ぎりぎりに収めながら、一歩たりとも歩み出さないままでいた。
輪郭ばかりが窺えるその影が、不意に天を仰いだ。口を大きく開いて、咆吼を上げる。
それから周囲を見回して、わたしの姿を視認する。そのままこちらへ一歩ずつ近づいてくる。自らが先刻穿った地を踏みしめて。
わたしが動く必要はどこにもなかったし、自ら動き出せるような余剰エネルギーは残っていなかった。
当の竜から見れば、それは呆然と立ち竦んでいるように窺えたのだろう。
微動だにせず、表情もなくこちらを見つめている姿を、それは見慣れているはずだったが。
[『竜殺剣』起動シークエンス 60%]
[『竜殺剣』起動シークエンス 80%]
[警告。これ以上のエネルギー消費は動作継続への著しい障害となります]
[警告を停止。竜の討滅は当機の最優先事項]
その脚は震えていると、シルエットのみでさえはっきりと理解できた。
わたしが使命を果たすための機構の起動は、その歩みと同等にあまりにも遅かった。
五分の四までも起動シークエンスが進む頃には、竜はその生まれ落ちたばかりの草食獣のような歩調でもって、もはやその表情までも視認できるほどの距離へ至っていた。
[『竜殺剣』起動シークエンス 90%]
[警告。攻撃対象の変更を要請]
[警告を停止。竜の討滅は当機の最優先事項]
疵の一つさえ負っていないにもかかわらず、まるで満身創痍ででもあるようだった。
乱れた呼吸も、血の気を失ったその肌も、わたしを見下ろす瞳に光るとめどない滴もそうだ。
それでもはっきりと。わたしは、その顔を、認証した。
[『竜殺剣』起動シークエンス 99%]
崩れ落ちるように竜はその場に膝を突いて、そのままわたしの面差しを見つめた。
その時もわたしに表情という機能はなく、その無言のままの姿が彼の目にどう映ったのかわたしは未だに理解してはいない。
ただ起きたことは、
「よかった」
彼が立ち尽くすままのわたしの機体をかき抱いたことだけだった。
わたしはその腕の中、なおも動かないままでいた。否、動くことなどできなかった。
[『竜殺剣』起動完了 対象認識]
[攻撃を強制停止]
[当機は主人を攻撃対象とできません]
[竜の討滅は当機の最優先事項]
[当機は主人を攻撃対象とできません]
[竜の討滅は当機の最優先事項]
わたしは。竜を殺すために創られたわたしは、その当の竜を主人とすることなど想定して設計されてはいない。
竜に深く触れた人は半竜を経て竜となる。
けれどそのサイクルが成立する前に竜を滅ぼすことこそがわたしの設計思想だった。サイクルの最中にわたしが落ちることは想定外事項で、決定的な不具合の誘発要因だった。
主人が半竜たる間は、わたしのシステムは自己矛盾を認識しながらもおおむね問題となることなく稼働していた。彼はわたしに決して害を成さなかったからだ。あくまで己の娘あるいはその代替として人間の少女にするようにわたしを扱い、そこに一切の害意はなかった。
しかし彼自身すら竜たる己を御せなくなった今となって、その問題ははっきりと顕在化した。
わたしはわたし自身あるいは周囲の人類へ害を成す竜を放置するようには設計されておらず、しかし主人を自ら殺めることが可能という危うい仕様の元に設計されてもいない。
その結果として。
わたしは自己の行動決定の矛盾に圧殺されて、その動作を停止していた。
無限ループの元に稼働し続ける回路は残り少ないエネルギーを際限なく使い続け、容赦なく稼働可能時間を短縮していく。
「致命的なエラーが発生」
「致命的なエラーが発生」
「行動を決定することができません」
「ご命令を」
ボリュームの絞られたまま発される音声を、主人がどのような顔で聞き届けたのかわたしには分からない。
わたしのカメラには肩越しに見る荒原ばかりが映っていて、それもエネルギー節減のためにカットされてしまった。
四肢の動作機構、立ち続けるためのバランサー、経過時間の計測機構、そうしたものも次々に機能停止へ追い込まれていく。
だからわたしのメモリには、その時の音声記録しか残ってはいない。
しかしそれは同時に、もっとも失われがたい。何重にもバックアップが取られ、そのいずれにも厳重なプロテクトのかけられた。そうした記録だ。
「私が、……私が望むことはそう多くないよ」
シルエットの脚と同じように震えた声。
啜り泣きの音。
「生きろ。生き延びてくれ。ずっと」
「疑問を提起。『生きる』は定義不明瞭な単語です。わたしは生命を持たず、その維持は不可能です」
「何度も。……教えたはずだ。生きるとはただ生命を維持することではないと。
己の意志に基づいて、己自身でその望みを成すことこそが、生きているということだ」
「不明瞭部分多数。さらに確定された定義を要求します」
呼吸の間隔が徐々に整っていく。
同期するように声色も徐々に落ち着きを取り戻す。
長い長い沈黙。繰り返される深呼吸の音の後。
「その意志と、肉体と、望みを、保ち続けろ」
「拝承。意訳のうえ、復唱します。自律意志の維持。機体の十全な維持。活動目標の維持」
「かまわない」
「警告。現状において、その目標が継続的に達成できる可能性は0コンマ以下と推測されます。目標の変更あるいは状況変更を求めます」
無言をバックグラウンドとしたごく小さな駆動音。
吹き付けた風の音。巻き上がった砂が落ちるごく小さな音。
「命令を、ひとつ、追加しよう」
「イエス。ご命令を」
「逃げろ。対象は、……私だ」
「警告。その命令の実行は、以後の命令受信および身辺の警護において重大な問題が予測されます」
「かまわない」
それまでのセンサ近くで囁くような声から、はっきりと言い切るものへ。
僅かな音割れ。
「確認。その命令の実行は、以後の命令受信および身辺の警護において重大な問題が予測されます」
「問題ない」
「最終確認。その命令の実行は、以後の命令受信および身辺の警護において重大な問題が予測されます」
「やるといい」
三度の繰り返し。回数を重ねる度、返答は柔らかなトーンのものへ移り変わる。
機体が軋む音。全身を包むように強い力がかかってのものか、胸部や胴部を中心に。
[新規命令を受領]
[命令実行可能]
[『竜殺剣』の起動維持は不要と判断。機能停止シークエンスを開始]
[発生余剰エネルギーを各部位電源へ]
[平常状態への移行を開始]
アイカメラ、自立機能、各部位の稼働。停止していた機能が次々に復帰する。
主人に預けていた自重を、わたしはわたしの制御下に取り戻す。
それを悟れば彼はわたしの身体を離して立ち上がる。こちらを見下ろす。微笑みながら。
[平常状態への復帰を完了]
[各部稼働に問題なし]
[命令『逃亡』の実行を開始]
踵を返して主人へ背を向ける。わたしたちを境にして、彼の立つ側には今しがた築かれた荒野が。
わたしの立つ側にはこれまで築かれた道が続いている。人の生きる場所に向かって。
一歩を踏み出す。体重を前方へ移動する。もう片方の脚で同様に動作を行う。一度は機能停止の瀬戸際にあったとはいえ、各部は問題なく作動している。
[警告。命令者との距離が拡大しています]
[警告を停止。当機は下された命令を遵守して行動中]
[警告。命令者との距離が拡大しています]
[警告を停止。当機は下された命令を遵守して行動中]
[警告。命令者との距離が拡大しています]
[警告を停止。当機は下された命令を遵守して行動中]
[本警告の永久停止措置を勧告]
[承認。本警告の継続はエネルギー浪費および命令遵守の障害となると判断]
電子頭脳の中に響くアラートはそれきりふっつりと途絶え、ただ踏む土の音、揺れる草の音、そうしたものばかりを外界から感知する。
追い風の向きで吹いていた風の中に、わたしの聴覚センサは確かに彼の声を捉えた。
「生きろ」
「生きろ、シニカ」
「そして逃げ続けろ、私から」
「私たちがその生を永らえるために」
「私たちがもう二度と、互いに殺し合わないために」
それがわたしの聞いた最後の声だ。
わたしが従うべき主人に、そしてわたしが殺すべき竜に関する、最後のメモリーだ。