錯誤のバベル

Mist of War 4th season

week20

索敵とともに友軍機へ直結通信を行い、その機体機能をより強く引き出すコネクトモード。
支援機の乗り手であるシニカはよくそれを使う機会があった。


 コネクトモードによる直結は自己の機体をも支援しうる。
 聞こえるのは決まってAIの応答音だ。規定のメロディをなぞる遠い機械音。
 マグスが戦況をつぶさに観察し、コネクトへの対応を自動応答に切り替えている間の。あるいはライダーが姿をくらましたままの機体へとコネクトを繋いだ際の。
 その音が、未だどちらも選んだことのないわたしの機体から聞こえてくる。

 『キッシンジャー』にAIの入り込む余地はない。
 代表的なAI兵装として知られるFCSも搭載したことはなく、わたしがそれを積んだということもなく、またわたしの手にしてから、かつてのライダーたちが搭載したその存在を感知したこともない。

 あるいはあるのだろうか。
 残像領域に、ライダーたちの間にまことしやかに流れる、ハイドラの精神の噂。
 それに相当するAIが、この機体のどこかに。


 確かにこの機体は『死んでいた』。わたしが直結という形で拾い上げるまで。
 けれどその死を明確に確認したものは誰もいない。

week21

残像領域全土を覆い尽くす霧は、日々その濃度を変えつつも消えることはない。
「MIST UNSTOPABLE UNCOUNTABLE AND UNBREAKABLE」。
企業連盟ビル超高層部の外壁に書かれていたという落書きは、霧への思案を加速させる。


 天候の制御は数多の世界で試みられた技術である。
 食糧確保や物資輸送における不確定要素の排除、そして軍事的利用。
 それがもたらす恩恵は数えるに余りあり、そして実現への障壁も同程度に。

 ではこの残像領域における「霧」もまた、かつて行われたそれの遺産なのだろうか。
 私たちの視界を閉ざし、ウォーハイドラの動力源となり、時に出力として以上の力を与えもする。
 その始原について何一つ正確な資料は見つからず、その噂ばかりが跋扈する。

 おそらく誰も、真剣にその始原を探してはいない。
 ハイドラライダーが求めるのはその活用法ばかりだ。
 そこにあるものが平常に動くのであれば、誰もそれ以上は望まない。
 わたしもまた。

week22

ある日の操縦棺内における、記憶の反芻。
シニカが行う日々の習熟と学習は、ハイドラ操縦に対するものだけではない。


 メモリーを浚う。
 他のライダーと通信した際のもの、チアーズへ赴いた際のもの、マーケットへ赴いた際のもの、
 残像領域に至るよりも前のもの、それよりもさらに遡り、その状況を問わず。
 わたしの発話記録、それに対する他者の反応の記録。
 他者の発話記録。口にした内容と、類推できるその理由。
 他者の活動記録。意識して起こした行動とそうでないものの判別。
 

 ヒトを模した人型存在とヒトとの間には常に不気味の谷が横たわる。無論わたしもその例外でない。
 それを超えるために、ヒトに排斥されないために、完璧な擬態のために技術と工夫は凝らされてきた。
 より肌や髪に質感の近い材質、より自然な動きを可能にする可動域設定。
 そして、ヒトを観察しその中からよりヒトらしい動作をするための要素を拾う学習機能。
 
 学習成果の実用には限界がある。
 胴体部分の可動性が著しく低いドラム缶のような機体、あるいは開口部を持たない機体に呼吸動作の模倣は期待できない。
 シャッターカバーのないカメラを搭載した機体に瞬きは不可能だ。
 ヒトがいかに俊敏な動作を行ったとして、モーターの動作速度がそれを下回っていればわたしはそれを行うことはできない。
 そうであっても実現可能な動作をひとつひとつ学び積み上げることで、あるいは学習したことそれそのものを、実現可能な機体に移るまで記憶しておくことで。
 わたしの挙動と言動はより人間に近づく。
 
 
 残像領域はヒトでないものを許容し、異世界からの来訪者を許容する。
 しかしその鷹揚さ、無関心さはどの世界にも遍在するものではない。
 拾わなければならない。この場所にあるうちに。赦されているうちに。
 より振る舞いの精度は高めねばならない。
 いつか赦されない場所でわたしが生き延びるために。
 
 
 
 

『当機の識別名称を復唱します。
 マシーナ・クローイェヴナ=アンドロースカヤ』
 
 
 何重にも圧縮され積層化された記憶の底にはいつもその光景がある。
 起動直後、わたしが初めて行った会話の一つ。
 記録なのだからその行く先は変わることはない。
 僅かに見開いた瞳、すぐに下がる眉尻、しかしわずかに弧を描く口端。
 彼が呆れているのだと理解できるようになったのは、
 そしてそうでありながら庇護欲を抱いているのだと理解したのは、実際にこの会話を行ってからずっと後のことだ。
 
 
『名前を名乗る、というのはそういうことではないよ』
『では、どのように行えばよろしいのでしょうか』

『主語は「私」だ。
 そして人は、他人の名前の全てを覚えるわけでも、口にする訳でもない。
 多くの場合はその二つのための愛称がある。教えてあるだろう?』
『イエス』
『では、もう一度名乗ってみるといい』

『わたしは――』




 あの頃と比すれば。あの開始時点を鑑みれば。
 わたしの技術はずっと向上している。

week23

バイオスフェア要塞で辺境軍閥を打倒し、一大勢力として数えられるほどに存在感を増したハイドラ大隊。
所属員であるシニカの元には、多数の勢力からのメッセージが届くようになっていた。
その中に入り混じるのは、かつてハイドラ大隊への連絡役を務め、そして今やこの世にないはずの女・メフィルクライアからの言葉。
企業連盟会長バルーナスより『受け取るな』と釘を刺されていたそれは、シニカにとっては価値あるもの。


『おはようございます、メフィルクライアです!』

 着信したメッセージの書き出しはそのような文言で始まっていた。
 現在時刻を確認する。AM8:43。
 操縦棺の、そしてガレージの外ではもう夜が明けているのだろう。
 
『メルサリアの実験、協力してくれたかな? 耳寄りな情報をお届けしますよ!』

 総文字数表示はごく短い。
 その制限の中でいったい何を述べるのだろうと、メッセージを進めようとした刹那。
 もう一度メッセージの着信ウインドウが開く。
 
『メフィルクライアなる人物からのメッセージを受け取るな。破棄しろ』

 思い当たったのはまず、企業連盟会長名義で着信したかつてのメッセージだった。
 できうる防護策は施したはずだったが、企業連盟――この残像領域を統べるその一角を欺けるほどではなかったか。
 その思案は、メッセージ送信者の名義を確認したその瞬間に無用なものとなった。
 そこにあった文字もまた、メフィルクライアであったから。
 
『混線から失礼します、メフィルクライアです』



 メフィルクライアなる人物の実在を確かめた人物が存在するのかどうか、わたしにはわからない。
 ただこれまでも大隊所属ライダー各位へそのメッセージは送られてきていて、
 そこから類推すれば今回もその通りだろう。
 少なくともメッセージそのものはわたし個人へ宛てたものではなく、メルサリアの実験――「ランページ・ユニット」使用試験に協力したもの、すなわち大隊すべてへ向けられているようだった。
 ただでさえ死亡の報が流れた後である。残像現象が存在するとはいえ、このメフィルクライアはその定型から外れている。
 世界に広がる霧に焼き付いたように、死亡する直前の姿で、その当時の言動を繰り返すというところからはほど遠い。
 故に大隊構成員のいくらかは、彼女の存在を怪しんでいるだろう。
 そのうちのさらに少数は、「メフィルクライア」の正体を探り始めるのだろう。
 わたしはどちらでもなかった。きっとこれからも、そのどちらになることもないだろうと予測できた。
 彼女が伝える情報はずっと有用だった。
 バイオコクーン、バイオスフェア要塞に座したその情報を伝えてきたその時から変わることなく。
 
 
 マーケットの商品カタログへアクセスする。
 中量級逆関節。重量級逆関節。軽量級タンク。スクロールを止める。
 
『原理はいたって簡単。空気中の霧粒子をギュッと圧縮し、霧濃度を一瞬にして枯らした後、回避不能のスペシャル強力な砲撃を行います』
『霧濃度が一瞬で枯れるので、濃霧領域は当てにできません』

 メッセージはそう伝えていた。
 ならばそれに耐えきるためにはどうしたら良いのか。
 いち早く陽動を行うことと、その代わり失われる耐久力を両立させるにはどうすればよいか。
 わたしの中にもうほとんど答えはあった。残りはかの戦場に、それを最適な形で適用するための穴埋めを行うのみ。
 
 
 マーケットへの発注を終えた後、大隊用メッセージ受信ログを開く。
 その中のひとつを選択する。
 企業連盟会長『バルーナス』の名義で発信されていたそのメッセージを、わたしは破棄した。

week24

幸運な戦果。不運な撃墜と、ともすればその先の死。
ハイドラ大隊の向かう先の戦場には、常に禍福が付きまとう。
シニカが考えるのは、機械。そして己の禍福について。


 おおむねの人間が機械の生死についてその用を成すかによって判断するように、
 おおむねの人間は機械の幸福についてその用を成すかによって判断する。
 そうあるためにつくられたものは、その役目を果たすために生まれたものは、その目的の通りに動いていることによって幸福であると判断される。
 それを判断するための言語が、さらには幸福を思う思考が一切存在しないような自動機械に対してさえも、そう判断する人間は多く観測された。
 
 翻って、人間との共通言語をもたない生物が幸福であるかどうかはおおむね人間側からの視点と価値観によって判断される。
 食住に不自由する事態のないこと。それを阻害しない範囲において自由であること。飼育者から十分な関心を寄せられていること。同種の生物と接し、その社会性を育む機会を与えられていること。
 それはすべて人間が必要とするもので、そこからはある種、別種であるはずの生物を同種の一種として捉えていることが推察できる。
 
 
 共通言語を持つ機械としてのわたしは前者に属する。
 使命を果たすことを快楽と捉える回路は、そうでなくとも優先選択する回路。有用であれとの命令は用途を持ち自律する道具には必要不可欠な機構であり、無論わたしもその例外でない。
 それがわたしの真に討ち果たすべきものでなくとも、残像領域において、さらにはそこに至るまで渡り来たいくつもの世界において、敵であると判断されたものを討つことはわたしにとって根源的に優先すべきことで、果たすべきことだった。
 そしてもうふたつ。
 生き続けること、逃げ続けること。
 かつての主に言い渡された、おそらくはわたしが存在する限り続いていく使命もまた。
 
 
 
 主がわたしを後者の存在として――同種生物の一種として捉えていたことは今や自明で、それはわたしを彼の「娘」とするわたしの名にも現れている。
 繋がるべき血が一滴たりとも存在しなくとも、わたしの「母」であるべき人物が遙か過去の存在となっても、それは一向に意に介さず。
 彼はわたしに愛情と呼ばれるものを注いで、教育と呼ばれるものを注いで、そうして側に置いていた。
 わたしも離れようと思ったことはなかった。使い手のない道具に何の意味があろう。
 
 ただ、それでも。
 わたしたちの目的はおそらく一度でさえ真に噛み合ったことはなく。
 その自覚さえなくとも――今でさえ抱けていなくとも。
 あの頃のわたしは今よりもずっと不幸だった。

week25

ウォーハイドラ『キッシンジャー』は、第四次ハイドラ大隊に所属して以降戦場で火器を使うことはなかった。
それは火器の代替たりうるほどの霊障現象が扱えたからだ。
だがより強力な霊障現象を生じさせる機能が見つかった今、その事情は少しずつ変わりつつあった。


 砲身の移動。照準へのロックオン。斉射。
 旋回。別のターゲットへ銃口を向ける。ロックオン。斉射。
 跳躍。攻撃位置の確保。落下軌道の補正を加える。ロックオン。斉射。空砲の音。
 
 シミュレートプログラムをいくらか繰り返して理解したのは、およそハイドラ用火器の使用に関し、わたしはまったく実用に足る技術を持ち合わせていないことだ。
 ハイドラ大隊の招集直後であり、その知名度が低いころであれば――
 例えば、企業連盟と敵対する陣営が戦闘用ウォーハイドラを持ち出す前であれば。
 未確認機がその戦力として実用される前であれば。
 わたしの技術であっても十分に、火器は火器たりえただろう。
 事実、わたしも初めのうちは少しばかり火器を搭載したことがある。
 けれどもはや戦況はそうでなく、加えて同じ小隊へ配属されるハイドラライダーたちの技術も、そしてハイドラ性能も向上している。
 今から『キッシンジャー』を火器武装しようとも、到底彼らと同様の戦果は挙げられまい。その足元にさえ追いつけはしないだろう。火器の果たす役割は牽制であり、敵の撃墜ではないだろう。
 シミュレートプログラムを離脱する。ヴァーチャルリアリティが創り上げた世界が遠ざかる。元の通り、操縦棺の中へ戻ってくる。
 プログラムの中においても同様に座していたそこへ。
 
 
 頼るべき先が霊障現象しかないことは明確になった。もはや否定しようもなく。
 わたしがライダーとなって後、鍛錬およびハイドラとの同調を繰り返して磨き上げてきたのはその技術のほかにはない。
 けれどそれでも攻撃戦果には足りない。
 かといって、攻撃用霊障強化機能――『霊霧領域』を実用に足るまで磨き上げたライダーたちのアセンブルは、わたしの思うところとは何一つ一致しない。
 霊障強化のためのあらゆる機構が組み込まれその他の一切へ応用の利かない特化型パーツ、すべての攻撃をその機動力で回避しきることを目標とした防御度外視の全体構成、そして出力不足のまま申し訳程度に積まれたエンジン。
 効率の観点を考えればすべてが正しい。それは最適解だ。考えを深めたのならばあらゆるライダーがいずれ辿り着くであろう場所だ。
 霊障攻撃特化機にそれ以外の機能など不要だ。機動性は回避性能を兼ねる。霊障現象の発生にミストエンジンは不要だ。
 覆す余地もない。
 
 しかし。
 わたしがそれを受け入れがたいのもまた事実だ。
 自ずと霊障現象による支援戦果は失われ、回避による防衛戦果もまた不安定で、万一被弾することがあれば撃墜は免れまい。
 その先に待つのは停止だ。いかに保険をかけていようとも、一度そうなることは避けられない。
 それは耐えがたく強い忌避感をもたらす想定だった。
 そして、ミストエンジンを欠けば停止する。ハイドラではなく、わたしが。
 きっとわたしでなければ。『キッシンジャー』のハイドラライダーがわたしでなければ、そしてわたしと同等の霊障現象適性を持つ誰かであれば。
 迷うことなく攻撃特化機として出撃しているのだろう。その誰にも勝る適性を戦場で生かすために。
 
 
 操縦棺ハッチは開かない。開く理由もない。
 パーツの移送先は一つあったが、まだずっと日程には余裕があった。
 この場では誰も、わたしの姿を目にすることはない。
 
 おそらく人は奇妙に思うのだろう、と思いが至った。
 つまらないこだわりに振り回される機械というものは、人間的を通り越してさぞかし滑稽に映るだろう。
 非合理は遠い。少なくとも、例えばルオドが見せたような感傷の類は。
 けれどわたしが下された命令を遵守するための非合理ならばすぐ隣に、いつでも口を開けている。

week26

変わらず送られてくる他勢力からの通信には、かつてハイドラ大隊が討った辺境軍閥の長ルオドの息子・ルオシュの言葉があった。
かつての父の機体の後継機を操りバイオ兵器とともに戦場へ向かうという彼のメッセージに、
シニカが思いを馳せるは機体ではなく、バイオ兵器について。


 バイオ兵器と呼称されるものたちを、わたしは比較的好ましく思っている。
 かつてバイオスフェア攻略戦の際、『バイオコクーン』の名を機能的であると称したと同じく。
 その純粋かつ単純な思考はただ敵を打ち倒すためにあり、それによって使用者に奉仕するためにある。
 その戦果がすべて主のものとなったとて彼らは不都合を覚えることはなく、己の役目たる戦闘を終えれば再び培養装置の中に収まり次の出撃を夢見る。
 それは理想的な自律兵器のかたちの一つだ。
 使用者に仇なすような智を端から持たず、ただ武力としてあらゆる勢力で使用される。
 欠点があるとすれば一個体の耐久性に難があること、加えてその知能の低さが人の目にはある種の愛嬌として映ることだろうか。
 量産速度と敵愾心によって克服できる問題ではあるものの、使用者が一個体に執心することや、それ故に培養装置の使用を拒否する可能性がないとは言い切れない。
 自律兵器を製作する側はおおむね、同情心といった社会性を兵器に対して発揮することはない。それが不要な対象であることも、それが不要な用途を目的としていることも理解している。
 しかし使用者はその限りでない。製作者よりもよほど多く存在し、製作された兵器により多く接するはずの使用者は。
 多数の実用事例の中でいつか社会性動物に備わる本能は錯誤を起こし、あるべきでない事態を引き起こす。
 万象を予測することは不可能であり、不具合はいつかどこかに生じうる。
 生命体の持つ本能も、兵器の運用設計及びプログラミングも、その点においては同じ地平を逃れることはない。

 故に必ずや存在するだろう。この残像領域のどこかに。
 その闘争本能の錯誤故に、破壊すべきでない何かを打ち壊したバイオ兵器というものが。

week27

第三の遺跡要塞・ストラトスフェア攻略戦を経て、他勢力からハイドラ大隊構成員へのメッセージは続く。
威信を失い沈みゆく企業連盟会長バルーナス、そこから独立し大隊の兵力を使っての興行を行うコロッセオ・レギュレータ社。
身体を乗り換え千年を生きる女・メルサリア、死したメフィルクライアを名乗る謎の声、ルオシュを長とし今や大隊の友軍勢力となった辺境軍閥。
その言葉の中に不意に見える、過去に見た面影。


 メッセージの着信アラートが鳴り響いている。未読5件。一週間内に届く量としては異例であるが、一週間という期間を考えれば多くはない。
 企業連盟会長バルーナス、コロッセオ・レギュレータ社広報シェフィル、この二名からのメッセージは常通りだった。
 有用かそうでないかで判断すれば後者に区分される、という意での平常。大した間も置くことなくメッセージを破棄する。
 見慣れぬドメインからのメッセージは言葉さえなく、ただ音声メッセージとして何かの吐息が短く聞こえるのみだった。
 ドメイン、そして添えられている『ヒルコ教団』、そして神聖巫女ヒルコの名を控えて破棄する。
 続いて確認したメッセージのFromはルオシュ。
 アンビエント・ユニット。取り巻くもの。外界へ働くもの。それがどのようなパーツであるかを類推する前に。
 
『安心しろ。お前は、誰の支配も受けていない。最初からな』

 ごく短い音声メッセージはそう結んだ。再生は終わり、画面には動作を止めた音声プレイヤーが次の指示を待っている。
 そのまま音声ファイルを閉じる。
 なるほど彼は間違いなく辺境軍団長ルオドの息子なのだろう。自らの乗機である『バイオコクーン』へ哀願しながら、決して聞き届けられることのない悲嘆に暮れながら死んでいったあのライダーの。
 己は何者からも自由であるというロマンチシズムはあの時目にしたウォーハイドラへの過剰なまでへの信頼に、あるいは己は何者よりも強力なハイドラを手にしたという信仰によく似ていた。
 
 
 縛られずに存在することはできない。とりわけ、この残像領域においては。
 ウォーハイドラであれども、未だ戦場の優勢が数で決まるという原則を覆せてはいないからだ。
 大隊に所属し、他機と連携の上で戦闘を行う必要性を証明したのは誰あろう『バイオコクーン』、ただ一機でハイドラ大隊すべてを相手取り、そして朽ちていったあの機体だ。
 真の自由を信じて大隊を離脱したライダーが現れたとして、未来があるはずもない。ライセンスの返却による引退は自由だが、万が一反対勢力に属したとあればその末路は考えるまでもない。
 わたしたちは例外なく縛られている。残像領域最大の戦力と化したこのハイドラ大隊に。
 
 そしてわたしに限れば、誰かに支配されずに生きるという選択肢は存在しない。
 わたしは用途を規定され、服従を本能として持ち、下された命令を遂行するために自律意志を用いるものだ。
 生きろ。そして逃げ続けろ。もはや覆されることのないその指令を永劫続けるために生きているものだ。
 そして兵器としてつくりだされた原初の使命への希求を、かりそめの戦いで紛らわすためにこの大隊に所属するものだ。
 わたしの行動のどれをとっても今や支配の埒外にあるものはなく、そしてそれはわたしにとり平常である。

week28

何者かの工作もあり、ついに企業連盟会長・バルーナスと完全に袂を分かったハイドラ大隊。
指揮権を握っていたはずの霧笛の塔の担当者も幾度もの交代を経てついに現れず、
残像領域そのものの行方とともに、大隊の指揮権は混迷の中にあった。


 わたしたちはどこからミッションを下され、どこのための戦力となっているのか?
 次週のミッション表はただ送られてくるばかりで、明日の敵を示せどもわたしたちの指揮権がどこにあるのかを示すものではなかった。
 あるいはわたしたちは、もはや指揮権をどこが握れるものでもなくなったのかもしれない。
 残像領域最大の戦力として、保持したいものと滅ぼしたいものの間で望む望まざるに関わらず戦い続ける他はなくなったのかもしれない。
『自由意志を持った凶器』。メッセージの中でメフィルクライアはわたしたちをそう称した。
 意志持つ武具、人の意志を超えそれ自体が意志を持つ力、あるいは意志を持たされた人造兵器。
 これまでに通り過ぎてきた世界で伝承されたものたち。
 再び残像領域で千年が過ぎた頃には、わたしたちの存在はそうした伝説に成り果てているのかもしれない。
 
 
 わたしもまた、かつてはそんなものだった。
 千年あるいはそれ以上を眠り続けていた、目の覚めた頃には果たすべき役目を喪っていた遺物。
 伝承かフィクションか、あるいはいつかの夢物語。そんな存在でしかなかったもの。そうでしかあるはずのなかったもの。
 
 もし夢というものを、さらに具体的に言うならば願望を持つことを赦されるのなら。
 わたしはたった一度、自らに課せられた製造責務を果たしたかった。
 すなわち竜を殺すことを。
 かつてわたしを創り上げた文明が竜と名付けた、『世界を喰らう悪性』を滅ぼすことを。
 たった一度その喉元に刃を突きつけながら、ついぞ果たすことのできなかったわたしの使命を。
 
 
 わたしはもう二度とそれが叶わないことを知っていて、
 故にわたしの殺すものはただ目の前にあるミッションに記されたものでしかない。
 それをいずこの組織が下していようとも、
 わたしはただ兵器としての活動代替と、活動報奨を求めてそれに従うに過ぎない。
 ただ、下された命令の通りに、生きていくために。