13.魔法、あるいはあなたのサイキック
『この目に力宿せし者』。
どんな魔王に対しても吐き通したその虚言を、護衛は自ら解くことを選んだ。
「嘘はつき通すのがもっとも難しいのですよ、と言いませんでしたか?」どんな魔王に対しても吐き通したその虚言を、護衛は自ら解くことを選んだ。
しばらく考える素振りを見せてから、魔王様が開口一番に述べたのはそんな言葉だった。
そうだ。確かに聞いた。かの翼の魔王様への手紙、その名義に魔王様の名を書き記した時に。
思うところがなかったわけではない。結局のところ、あの手紙ですら嘘でなかったのは俺の気持ちと名前程度だけなのだから。もっともらしく記した魔術師の名の重み、そんなものは全部俺の妄想に過ぎない。
「はい。確かにお聞きしました。でも、もうその時は。俺は嘘をつき始めてしまった後でしたから」
そんな調子だから、返す言葉なんてそれくらいしかなかった。
それを言われる前からずっと嘘なんて積み重ね続けてきたのだ。誰も信じない俺のためだけの嘘を。
ただ、それを本当に信じる人が現れてしまったからにはするべきことというものがあった。魔王様もまた、行き着いたところは同じようだった。
「その後の繕い方として。あなたはどのようなものを考えましたか?」
「……こうして正直に申し上げています。翼の魔王様の元へも、いずれ……お伝えに行かねばなりません」
魔王様のほかに、おそらくはもっとも俺という護衛を重用してくれたうちのひとり。
俺の積み上げた嘘を疑いもせず信じて、それをまるごと肯定してくれた魔王。
例え商戦の果てに世界がどうなろうとも、真実は伝えなければならないだろう。その無邪気なてらいのなさ、そこにある誠実さに報いるために。
できればもう滅びに脅かされぬ世界で。滅びを前にして最期に伝えられるのが、信じ支えとしたことがただの作り話だなんて残酷すぎるから。
「でも、かの魔王様であればもはや気付いているかもしれません。
人の良いお方です。そうだとしたら、知りながら黙っていてくれているのでは……」
けれどたったひとつ消せない懸念はある。
護衛として迎えられたあの城で、俺は働くために
無論、『その眼に力宿せし者』として自分を売り込んだ身だ。出来る限りそれらしく振る舞いもしたし、それは言葉や動作に留まらない。
故郷で、そして店で。手慰みにと顔馴染みのサキュバスたちから教えられた幻術は、初歩の初歩であろうと誰かの目を欺くことにはうってつけだった。
きっと誤魔化せたはずだと、思ってはいるけれど。
「そうですね。あの方の見せた力であれば、きっとあなたの虚言に気付くこともできたでしょう」
魔王様はその疑いを静かに肯定する。
あの栗色の瞳に何が映っていたのか俺たちは知らない。かの魔王様の他には、どうしたって知り得ないことだ。だから俺たちは推測と仮定でどうにかして動くしかない。
「それに……俺が本当にそのような超常の力を持つのであれば、そもそも俺はウィザードとして勤めることはありません」
「と、いいますと?」
思い当たる節もない、と声のみで分かるような魔王様の口振り。
魔王様がこのできそこないの世界の分類に通じぬからこそ、俺の振る舞いの奥はバレずに済んでいた。
きっともう少し後に俺たちが出会っていたのなら、この関係など成り立ちはしなかっただろう。他の誰かにこの世界のことを、ある程度教えられた後だったのなら。
「そのような者は、ウィザードではございません。
視ざるを視て感じざるを知る。超常の力を操る護衛……サイキックを名乗るでしょう」
真に力持つ者の名と属を、もうこの世界は持っている。目や耳に因らず何かを識り、不可知なるものを感じる力の持ち主の名を。
それはそもそも炎を操る護衛ですらない。
個々の護衛の質と片付けることはできるだろう。その力が故に、あえてサイキックでないものへ身をやつしていると騙ることもできただろう。
だがこの世界の分類にある程度詳しいものであれば、そして俺がただの力を嘯く者であると知っていれば、そんな嘘など誰も信じはしない。
故に俺はただの《煮える鍋の》アルフだった。できそこないの世界で生まれた護衛たちの中では、ただの格好つけた法螺吹きの道化者だった。
俺が真に俺の語ることを信じ、その役柄に浸れたのは。俺の語る世界を信じてくれる魔王に出会えたのは。
15週の危機に際して立ち上がった商売とは縁もなかった者たちが、そして危うくなった世界の壁を渡り来た魔王たちがこの商圏に溢れたからに他ならなかった。
その魔王様は、俺の告白を聞けばそれを噛み締めるようにゆっくりと目を伏せて。
「サイキック。……懐かしい名前ですね」
そっと、そう呟いた。
「はい……? 確かにこの城にも、短期で勤めたサイキックがおりましたが……」
対する俺にはそれが何のことだかさっぱりわからない。思い当たったのはせいぜいそれくらいだ。
しかし魔王様は緩く頭を振って、その想起を否定する。
「いいえ。もっともっと前のことです。
私がこの世界に至るよりもずっと前に。私をそう呼んだ者がいたのですよ」
信じがたかったからか、それとも戴いたその名が眩しく思えたからか。無意識に増えた瞬きの回数を思いながら、魔王様の称号を心中で数えた。
比類なき氷の魔女。マシンに通ずるカガクシャ。かつてひとつの世界を救った勇者。カルマが故に追われた追放者。そして超能者。
依然として名乗らぬ真の名を奥に秘めながら、纏うのは他者のもたらした無数の呼称。おそらくは魔王様にとっては、『魔王』さえその一つに過ぎないのだろう。
これまでの人生で得てきた、あるいは押し付けられてきた無数の呼び名が一つ増えることに。
「魔王様を、ですか? 魔王様はまさか……そう呼ばれるような、超常の感知の力をお持ちで?」
「いえいえ。あの時でさえ、私は……今よりもずっと自由に魔術を操れたとはいえ、そんな器用なことはできませんでしたよ。
けれど、あの娘は私と……そして彼女自身の力を、サイキックと呼んだ」
「あるものは目の前の敵を打ち倒す心を矢に変えて。
あるものは抱いた世界への疑いを、世界そのものを曲げる新たな理として。
あるものは自らを自らたらしめる定義をその力の礎として。
あるものは見せかけの虚栄から真実を取り出して
あるものは己へ最大限の利を求める心にて、自らの欲するものを呼び込んで。
そうして振るう心の力のことを。
「あなたと私が、魔術と呼び。あなたを魔術師と、私を魔女と定めるその力のことを」
朗々と紡がれるその台詞はある種詠唱に似ていた。
それの意味するところへ辿り着くまでに数瞬。呑み込むまでにはさらに長く。
「それは……ウィッチやウィザードと、サイキックは。根本、同じものであると……?」
半信半疑での問いに返るのは見間違えようもない肯定だ。
頷きの後に魔王様の見せた表情は、しかしどこか冗談めかした余裕ある笑みで。
「あの娘の言うことに従うのならば、そうなるでしょう。
といっても。そのようなことを言う者など、あれきり見たことはありません。あなたもまた、信じるかどうかは自由。
それに。つい思い出話をしてしまったけれど、そのように言葉を弄ばなくとも十分と思っていますよ」
「……というと?」
「嘘をついた後の処理は三つあります。
正直に真実を明かすこと。嘘に嘘を重ねること。
そして三つ目は、嘘を真とすること」
要領を得ない俺の前に、立てられた魔王様の指が三本。それが一本ずつ順繰りに、言葉と共に折られていく。
結局それがすべて折り畳まれて、俺の前にあるのがしわの目立つ手の握り拳だけになっても、俺はその意味するところをよく掴めてはいなかった。
それを見かねて、魔王様は少しだけ笑ったようだった。
「あなたのその目に何も力のないこと。何よりその理想を保ちたかったあなたが言うのだから、真実なのでしょう。
けれどあなたそのものがそうであるとは、私は思ってはいませんとも。そしてきっと、かの魔王様も。
その姿が城になくとも、思い出だけであの方の支えになれるほどに。そして私の城に勤める護衛の筆頭となれるほどに。
あなたは力あるものです。もう、その嘘は真に変わっています。
何も心配することなんて、ありませんよ」
言うべきことなんて山ほどあるはずだった。それこそ、一晩中言葉を並べ続けたって足りないだろう。
俺はそれほどの器ではございません。いえしかし、もったいなきお言葉をありがとうございます。護衛として光栄の極みです。そのお言葉があるならばこの商戦に命までも燃やしてみせましょう。
「魔王様」
けれど俺がそうあれと願った虚飾をすべて除いて、そうして口から出てきた言葉はといえば。
「信じても、いいですか?」
そんな情けない。でも間違いなく、自分でもああ俺だなって、そんな見せかけに頼らなきゃいけない、自分さえ信じてやれないような奴だなって心から分かるような台詞でしかなくて。
涙で歪んだ視界の向こうで、ふふ、と魔王様が笑う声だけが聞こえた。
「何を言っているんですか。今まで散々私を信じてきたのは、あなたの方でしょうに」