12.力、あるいはあなたの護符

護衛が語ったは、魔王になれなかった己と、それでも魔王の傍らにありたかった己のこと。
相対する魔王の持つ獣の耳に、それはどのように響いたか。
「ですから、俺は。
 魔王様が悪であろうと、滅びに近しき者であろうと、それでもまったく構いません」
 
 元よりそれは俺が求めた魔王というものの条件だった。世界を救い滅びに抗うものであるよりも前に。
 カルマ勇者のような、自分をどうにでもしそうな気迫を持つ魔王に付き従いたいという護衛はそうそういるまい。
 が、生憎と俺はそういう奴だ。その矛先が自分に向かうことに関して覚悟ができているかというとうまい答えが返せないし、実際のところできてなんかいなかったんだろう。
 
 かつて魔王として城を構えていた者は、滅びを前にして皆勇者になった。滅びないはずの世界が滅びる前に、皆今の命を心から楽しもうとしていた。
 俺はそれを何一つ責められないし、責めようと思ったことはない。
 あのメルサリアというカガクシャのような、勇者が取るその態度の方を馬鹿にする奴をこそ俺は責めずにはいられない。
 俺の考えが魔王のそれであるか勇者のそれであるかと聞かれれば、俺は後者だと答えるからだ。
 ただ俺の望みは勇者として最高の歓待を受けたいのではなく、滅びに立ち向かう魔王と歩みをともにしたかったというだけで。
 その魂のありようは魔王に付き従いその手足となる護衛どころか、むしろ滅びを受け入れる勇者そのものだろう。
 滅びに抗う古の勇者の、そして現世の魔王として相応しき魂を持つ魔王様の隣にありながら。

 俺の話が一つの区切りを得たとみてから、魔王様はまず長く長く息をついた。
 それは溜息によく似ていた。というか、俺が溜息だと思いたくなかっただけかもしれない。
 
「あなたは滅び行くものに憧れたのですね」
「はい」

 その声に呆れの色があるようには見えなかったから、たぶんそれは本当に溜息ではなかったんだろう。
 俺の進退を聞いたと同じく、ただ淡々と。そして真剣に。

「再三になりますが、私は滅び行く気はありません。
 魔王となると決めた時からずっと、この世界に『16週目』をもたらすつもりでいます。
 それが私ひとりでできることではないとも、自分ひとりですることではないとも承知の上で。
 それはあなたの憧れとは絶対に相容れないでしょう」
 
 そうだ。初めから、何もかもその通りだ。
 魔王様はずっと生きるつもりでいて、世界とともに滅びる気なんて毛頭あるはずもない。
 
「もう一度問いを重ねましょう。先よりももう少し深く。
 己の憧れに従って主とともに滅び行くという、その理想像を選ぶか。
 それとも私とともに、滅びを退ける道を選ぶか」
 
 その問いが出されてくるのは当たり前で、俺の答えだってもう決まり切っている。
 
「さっきの答えの通りです。俺は、魔王様とともに参ります。
 滅びにはなから滅ぼされるつもりで挑む魔王と護衛はおりません。いつでも、滅びをこそ滅ぼすつもりでいる姿こそ俺の憧れというもの。
 そしてそれこそ、魔王様のお姿でもあります。
 ですから……せめてこの滅びの過ぎ去るまでで構いません。どうか、お側に置いてください」
 
 己を討つために向かってくる勇者を自らの死そのものだと思いながら迎え撃つ魔王が登場したところで、何の魅力があるものか。
 俺の心を惹き付けてやまない姿とは、その滅びをこそ滅ぼしてやるのだという泰然とした態度で。
 魔王が勇者に敗れるのはその慢心が故、という描き方も少なくはなくとも。
 俺はその、揺るがぬ自信こそが欲しいのだ。俺にまったく足りないそれを、支えてくれる誰かが欲しいのだ。
 魔王様の目の奥には、その泉のような青色に似て静かに。でも確かにその自信が湛えられていると思えた。
 真っ直ぐに瞳を見つめる俺の視線を、魔王様がどう取ったのかは分からない。少し考える素振りを見せてから、魔王様は常の通りゆっくりとした語調で口を開く。
 
「憧憬と理想像を通して私を見るなら、そう長くは関係が保たないだろうと思っていました。それは理解とはもっとも遠いものですからね。
 けれどここまで話しても、あなたが私を見る目が変わらないというのなら。
 私にはつける薬がありません、とでも言いましょうか」

 あまりにもさらっと吐き出された最後の一文を、俺は危うく肯定の意味で取るところだった。
 魔王様、俺に似ていると言った誰かをだいぶろくでもない人みたいな言い方をした時と同じ顔をしておられます。声色こそ暖かくてもそれは笑顔で言うことではございません。
 引きつった口元からはうまく言葉が出て来なくて、ようやく何かを言えたかと思えば。
 
「…………魔王様、今日はいつにも増して手厳しくありませんか?」
「そのつもりですよ」

 ばっさりと更に容赦のない台詞が飛んだ。そうですね、考えれば容赦がおありだったらこんな話はしていないですよね。
 けれどそれに続く言葉は、多少なりとも暖かみを感じるもので。
 
「けれどあなたに出て行くつもりのない以上、無理に追い出す気もありません。
 その夢が砕けるまで付き合ってもらいましょうか。
 あなたを今手放すのは惜しい、とここで言う程度には評価していますからね」
 
 そしてそれは赦しそのものだった。護衛としてこの魔王城に居続けることへの、魔王様の隣にあるということへの。
 それを耳にした瞬間に、俺はがばっと頭を下げていた。そのまま礼を述べようとして、それじゃ非礼だと思い直して慌てて顔を上げる。
 
「……もったいないお言葉を、ありがとうございます」
「いえいえ、私の正直な感想ですよ。
 この世界に対する私の知識もあなたからもたらされたものが大部分を占めます。
 それに、この店で実際に働く上でのことならば。この商戦の間にずっと店に立ち続けるあなたの方が、私より詳しいこともあるでしょう。
 残りの商戦も、私に力を貸してください。
 あなたにはその魔力もあれば、その眼もあるのですから。
 あなたのように言えば。黄金の祝福を受けた  とでも言うのかしら。美しい色をしていますよ」
 
 息を呑んだ、と自分で気付いたのは、もう喉がそう動いた後だった。
 意識もしないまま、片手は片眼を覆っていた。
 さっきの動きの弾みに前へ垂らした髪の向こうから覗いた、言い当てられたそのままの色をした右目を。
 呑み込んだ空気が喉に詰まったように、息の上手くできなくなる感覚。心臓の音がやたらにうるさく聞こえる。
 そんな俺の様子を見て取ったのだろう。魔王様は俺を落ち着かせようと柔らかに、さらに言葉を重ねる。

「これも、俎上に乗せるべきではなかったかしら。あなたの名と同じ、力の源でしょうからね。
 そうして隠しているのだから、人に見せるものですらないのかもしれない。
 けれど、もし見える眼だとするなら。あまり覆うものではありませんよ。
 眼というのは悪くなってからではすべてが遅いですからね」
 
 それはまさしく老婆心というものだろう。魔王様の自称ならばともかく、それを俺がそう称すのは失礼そのものでこそあれ。
 けれどそうではないのだ。そこにあるものを、改めて意識してしまっただけの話で。
 
「その、話ですが」

 口を開けば案の定声は震えていた。こんなことばっかりだ。
 けれどどれだけ声がおかしくなろうが、途中で喋れなくなろうが言ってしまわなければならないと思った。
 それは、先にもらった赦しのために。魔王様とあるために。絶対に必要なことに違いなかったから。

「申し訳ございません」

 魔王様の瞼が少しばかり見開かれた。何のことかと言わんばかりだった。
 何も気付いていらっしゃらなかったのですね、とは言えなかった。かの翼の魔王様さえ、おそらくは気付かなかったのだ。不可思議な力でもって魔力そのものを視る力の持ち主でさえ。


「俺の、この片眼には  何の力も、ございません」


 魔王様ほどの人を相手に秘密を隠し切ったと言うなら聞こえはいいだろう。事実、ずっと隠してはいたのだ。
 その眼の色とともに、それが宿す力など何もないことを。
 金と紫、正反対の色をした両眼の成すコントラストは、本当にただひたすら目立つ以外に何の役にも立ってはいないということを。
 そして『その眼に力宿せし者』としての俺など、俺が創り上げたただの妄想に過ぎないということを。
 商品の売買とともに護衛の雇用契約を結ぶ場であるマーケットにおいて、その嘘は重大な契約違反だ。露見すれば到底許されることではないだろう。
 けれど、それ以上に。
 本当にその嘘を信じてくれる人を嘘だと知って騙し続けることは、ただの裏切りに他ならなかった。