14.未来、あるいはあなたの照明

14週の絆を結んだ主従が迎え撃つは滅びの日。
四畳半の小屋の魔王と護衛は、『16週目』の朝を掴むための最終決戦の地へと臨む。
 見上げた天窓からは無限に広がるかと思えるほどの蒼。そこを時折過ぎて行く流線型の影。
 ここがダンジョンの外だったのであれば当たり前の光景だろう。だが生憎とここは、未だ空など望むべくもないダンジョンの最奥である。
 海洋型ダンジョン『スーパーデプス』。99階層分の水はどこまでも蒼く、小屋の中からの光を散らしてきらきらと輝いている。
 火炎を操る護衛の里で生まれ育った俺にはさっぱり想像もつかなかった光景で、それは言葉にもならないくらい美しかった。
 世界を滅ぼすものがこの先で魔王たちを待ち受けているとは思えないほどに。

 『黄金の楔』は武力の存在を赦さない。そのはずだった。
 だがあのレヒルという眼鏡のカガクシャは、魔王を滅ぼし世界を統べる兵器を作り上げたのだという。
 この地を訪れる勇者を商品によって満足させ、その矛先を魔王ではなくカガクシャへ向けさせる。そして護衛もまた、勇者ではなくカガクシャの進撃を防ぐことが役割となる。
 それが世界を守るこの15週最後の商戦となると、メルサリアは伝えていた。
 そのメルサリアすらもう行方がわからないらしい。魔王へ情報を伝えていたカガクシャたちがいなくなったことに加え、存在するはずのない兵器を前にした魔王の態度にもまたそれぞれ違いがあるようで、状況は混乱を極めている。
 けれど。
 
「アルフ、手伝ってください。そろそろ到着するようですからね」
「お任せ下さい、魔王様」

 大半の魔王たちは戦うことを選んだ。魔王様もまた同じだ。
 元より大部分が15週の滅びを聞きつけて立ち上がった者たちだ。ここで未知の相手に臆して退く理由など、どこにもなかったということなのだろう。
 四畳半の小屋に広げられた術陣は以前よりもずっと複雑かつ精密になっている。カガクシャの隠し球である兵器の正体が割れた頃に対抗手段としてもたらされた、かつての術を超越した力。
 代償として行使も維持も難しくなったそれの補助を、光栄にも俺は担っている。

 魂までも完膚なきまでに打ち砕くための魔導の槌、超心魂滅術。
 あらゆる災いをその身から退けるための魔導の鎧、超縛魔結界法。

 週報に名を連ねるような魔王は、これを軽く超える数の術をいとも簡単に操るらしい。けれど俺達に成し得たのはこの二つ程度だった。
 この二つで十分と魔王様は判断された。
 壮大ならざる、この世界以外ではとても城とも呼べぬ小屋を勇者と兵器から守り抜くために必要なのは、槌と鎧。
 魔王様が最も信頼する、己の手でもって己を守るための力であると。
 術式から溢れるエネルギーが魔王城を、そして護衛たる俺たちを満たす。強風が吹き付けるのにも似た衝撃と圧力の後に、確かに自分の中にある、燃え立つような何かを感じる。

「行けますね?」
「ご命令あらば、いつ何時でも」

 満足げに頷いた魔王様の手の中に現れるのは魔王性の具現。
 魔王様のそれは輝ける冠。夜闇の後も変わらず天へと昇る、幾度でも蘇る光の象徴  暁新世界。
 けれどその光は、いつ見たよりも小さかった。
 かつて絢爛な冠を形作り目を灼かんばかりに輝いていた光明は、今や細身のティアラから発される、天窓からの光があってはその存在にすら気づけないような微かな燐光に過ぎない。

 彼女は和解を望んでいる、と。魔王様はそう告げられた。
 先陣を切りスーパーデプスの超深層へと踏み入り、そのまま姿を消した魔王とカガクシャたち。その行方は杳として知れない。
 しかしその最後の思念は、どういう原理でか魔王たちへと届けられたらしい。手紙でも言葉でもなく、それこそサイキックじみた奇妙な方法で。
 黄金の墓石を抱いた、『乾いた静物の魔王』ネハジャ。あの特徴もない字の手紙で、15週の商戦の間魔王たちを導き続けた先達。
 一度たりとて見たこともないはずのその姿を、魔王様は確かにイメージとして受け取ったのだという。そしてその最後の想いもまた。


『……わたしは、定義する。この世界を……』
『……苦しみも、悲しみも、痛みも、迷いも……お金で、解決できる世界へ……』


 それは何よりも動かしがたい根底の決定。『黄金の楔』が成したと同じ、何よりも重い世界の制約。


『お願い、魔王さんたち……あなたの商売は、きっと……』
『すべてを……幸せに変えてくれるはずだから』


 そして続くように託されたのは、何にも曲げられぬほどの重厚な想いと祈りだったという。世界を滅ぼす力たる兵器  デバステイターとも、それを操り世界を滅ぼそうとするに至った苦しみとさえ和解して、すべてを幸福に変えるための。
 その心に応えるためと、魔王様は自らが操る滅びの力を今一度収められた。彼女が、そして彼女が定義した世界が本当に和解を求めるなら、これは必要なものではないのだと。
 より強大な滅びの力に抗するほどに、あるいはより強大な魔王城のあるほどに輝く暁新世界の光は、故に蝋燭ほどの光量さえもたらさない。
 それでも。

「…………お似合いです、魔王様」
「そうですか? ありがとう」

 そのあるべき場所、真っ白に色の抜けた髪の上で僅かながら確かに煌めく黄金は、魔王様の気品に見合った落ち着きと威厳をもたらしていた。それは魔王に与えられる力の選択肢を超えて、まるでこの人のためだけに作られた宝飾のようだった。
 表情を綻ばせた魔王様が、今一度窓の外へ視線を向けた。勇者たちの、そして兵器の姿はまだ見えない。
 まだ戦いまでは、ほんの少しながら猶予がある。そう見て、魔王様は俺に向き直る。

「15週。私とともに、あなたの魔王とともに、その右腕として生きた4ヶ月足らずで。
 あなたは、生きたいように生きられましたか?」

 それは俺が当初に望んだことだ。
 そしてその望みを明かして尚、魔王様を利用するようなその生き方を続ける機会を魔王様に与えられたことだ。
 その答えは、もう俺の中で決まり切っている。

「いいえ」

 滅びの前の最期の生を、悔いなく生きたか。
 明日世界が滅ぶとしても、後悔はしないか。
 しないわけない。どんなに努力したって。

「まだ足りません。何もかも足りません。
 俺は俺の理想になれません。なれませんでした。魔王様だって、きっと……重々お分かりかと思いますが」

 だからこそ、魔王様とて迫る滅びから逃れようとしたのだろう。この15週の最後に至って、俺はようやくその心情をひとかけらでも理解できたような気がした。
 まだ生き足りないと心の底から叫びたくなるような無念を、場合によっては恨み辛みに変じてウィスプかゴーストにでもなって彷徨い続けそうな、そんな気持ちを。

「だから、俺はこの世界に続いてもらわなくちゃいけません。
 年月を重ねれば、俺とて俺の理想に近づけるかもしれません。それが例え、一歩ずつであろうと」

 それはふっつり途切れてしまう未来の中にあったかもしれない可能性を奪われる怒り。
 そして思い描くものになるための時間を永遠に奪われる悲しみ。

「……それに、俺は……もっと生きてみたいです。俺は、大人になりたいです。
 できれば魔王様のような、あらゆることを見通す英知を得たい。
 魔王様とて、以前おっしゃってくれたじゃありませんか。年を経れば、俺にもできるようになると」

 そして焦がれたものに永遠に近づくことはできない、近づくための手段などお前には与えられないと断ぜられる恐怖だ。
 俺の言葉に魔王様はゆっくりと首を振った。変わらぬ笑いの中に、少しばかり浮かぶ苦笑の色。

「あらゆること、とまで言うのはあなたの買いかぶりすぎですよ。
 あなたには見えぬところが見えているからそう思えるだけであって、私にも見えぬところはたくさんあります」
「なら! ……俺は、魔王様のそのお気持ちがわかるようになりたいです。
 何が分かっていて何が分からないのか、今の俺にはそれさえわかりません。ですからせめて、それくらいは……」

 魔王様は少しだけその垂れ下がった瞼を見開いて、それからまた笑った。今度は随分おかしそうに。

「そうですね。色々と、分かるようにはなると思いますよ。
 老いた身体でまだ生き永らえようとすることがどれだけ苦痛を伴うことか、とか。
 何もせずとも節々は痛むし、すぐに疲れてしまうし、昔のことはやたらに頭に浮かぶくせ、思い出すべきことばかり思い出せない」

 言われてみればそれもまた確かに老いるということの一側面で。だが魔王様はさっぱりそういった素振りを見せないから、俺は全然意識してはいなかった。
 この期に及んでもまだ見せつけられる俺の未熟さ、見識の狭さに、顔を紅くしながらより一層思いは募る。
 未来が、ほしい。いつかでいいからこの不出来を埋め、そしてどうか他者のそれを笑って許せる器の広い存在になりたい。

「大丈夫。否が応でも分かります。
 あなたがその望みの通り私と同じ視座に立ったなら、絶対に」

 自信に満ちたその頷きに応える時間は、生憎と与えられなかった。窓の外を劈く光、ざわめきと足音、それらを覆い隠す破壊音。終わりの始まりを告げる音。
 二人揃って反射的にそちらへ目を向けて、どちらからともなく頷き合う。

「いきましょうか、アルフ」
「はい。滅びの定めを  滅ぼしましょう」