11.仮面、あるいはあなたの防壁

魔王の名をしたかつての勇者は語るべきを語り尽くした。
この度過去を語るは、できそこないの世界で生まれ育ってきた護衛。
「魔王様みたいに、考えたわけではないので。どうしても長い話になると思います」
「構いませんよ。お願いしたのはこちらですからね」
「では、……えーっと」

 どれくらいが経過したのか俺にもよくわからない。もしかしたらかなりの時間がかかっていたかもしれない。
 でも魔王様は何も言わずに待っていてくれた。
 色々なことが脳裏を駆けては消えていった。俺が思い出せる最も最初の記憶、俺を笑った連中の顔、出会った日にこの小屋の床に倒れていた魔王様の姿、これまでに相手をした勇者の顔。
 でも結局、どこから話せばいいのかのきっかけとして何かを掴み取るにはずらずら並んだそれらはあまりにも多すぎて。

「……最初からで、いいですか。俺も」
「ええ、もちろんですとも」

 そう正直に伝えれば、魔王様は微笑みながら頷いてくれた。その顔は何度も見てきたはずなのに妙に気恥ずかしくなる。
 普段のお前の方がよっぽど恥ずかしいことやってるだろう、と言う奴はごまんといるだろう。何度だって言われたことだから。
 だがそれは逆だ。
 あれがあるから気にしなくてよくなることが、俺にはそれこそごまんとある。

「本当に最初からってなると。……本が好きでした。魔王様の見抜かれた通り。
 特に魔王と勇者の冒険譚が。この世界で書かれた話も、「四柱の神」の死を描いた物語も、魔王様のような外の世界の人からの聞き書きも、いろんな種類のが」
「その中に出てくる者のように、なりたいと思いましたか?」
「…………まあ、ガキなりの夢は見ました。でも多分。何もなかったら、夢は夢のままで終わらせたと思います。
 もし実際に何かするとしたって、仕事には関係ない部分でやめといたかなと。
 本当にやりたかったら、そういうサービスしてる魔王城に行くって手もありますし」

 そうだ。それが夢だとして、叶え方なんていくらでもある。金というのはそれを実現する力だ。
 メイドに扮したサキュバスやプリンセスに主人として出迎えられる城があるように、客を主人、あるいは魔王という設定にしてサービスをする魔王城だって存在はする。
 別に護衛として働くことで夢を叶える必要なんてどこにもなかった。勇者になって魔王城で金を使い果たせばいいだけだった。
 でも結局そいつはごっこ遊びに過ぎないようにしか思えなかった。
 この世の最期の思い出に持って行くには、あまりにも虚しいようにしか。

「魔王様は……世界が滅びに瀕していると聞いたんですよね。魔王様の生きていた世界でも。
 その時。何をお考えになりましたか?」
「……そうですね。もうずっと昔のことだけれど、覚えているのは……不思議ね、風景だけのような気がする。
 世界は知っていたものとまったく変わってしまって。
 それは迫る滅びのためだと言われて。私たちは、幸いなことにそれと戦うことができたから。
 滅びに無我夢中で立ち向かっていって……だから、何かを考えるより前に。動かなければならなかったから。
 考えることは、ずっと後からついてきただけかもしれない」
「魔王様は本当に……壮絶な世界を生きてこられたんですね」

 口にした言葉は本心そのものだ。だが同時に、酷い話だけれど、俺もそうあれたらどんなによかったろうと思えた。
 何も考えず、ただ動き続けるだけでいられたらどんなに楽だったろうと。

「俺は、15週の後の滅びが宣告されたあの日のことを覚えています。魔王様のように、そう昔の話じゃないせいもありますけど。
 色々と忘れられない日になりました。
 でも、今思い出してみても、始めはなんてことない普通の日でした」


 そう、本当になんてことない日だった。今まで続いてきたと同じ退屈な日。この先もずっとこんな感じなんだろうなって思っていた日。
 学校を出て護衛として勤め始めて一年目、覚えることは山のようにあった。倉庫と店内のモノの配置と動線、販売マニュアルの内容、客の二十人か三十人くらいに一人は頼んでくるマイナーなサービスの仕方、他の護衛の性格や好き嫌い。
 道すがら頭の中で復習しつつ店に着いて、開店前の作業を始めた。そんな朝方だった。

『幸せに暮らしているかな?』

 そんな、やたらフレンドリーで軽い声が9999階層のダンジョン中に響き渡ったのは。
 最初は誰もそれが神の声だなんて気がつかなかった。神なんてものはもうとっくにこのダンジョンを去ったはずだった。
 だから神の代わりに、みんな金を信じているのに。

『よかった……ところで君たちに一つの課題を与えなくてはいけないんだ。
 15週の後、特別なお客様がやってくる。彼らを満足させることができなければ……世界は滅びる』

 だからいきなり現れたそいつを皆が『神』だと知ったのは、そのあんまりにも唐突な余命宣告が最初だった。
 後の言葉なんかほとんど誰も聞いちゃいなかった。ただ皆、目の前に突きつけられた滅びに怯えていた。神と一緒に滅んだはずのものが、突然墓穴から出てきたことに震え上がっていた。

 いろんな噂が飛び交った。皆なんでこんなことになったのか分からなかった。
 でも結局はそれを解明することさえ諦めて、残り15週の命を楽しもうと有り金を持ってダンジョンへ消えていった。
 皆が滅びと一緒に思い出したのは、世界が15週で滅びていた頃の自分たちの生き方だった。
 努力も信念も積み重ねたって15週で崩れてしまうから、ただただのんぺんだらりとその日の幸せだけを生きていくやり方だった。
 滅びの滅びた後に生まれた俺の知らない、何かだった。


「そんな調子で、勤め先の店も閉まっちゃって。
 俺の手元に残ったのは、ちょっとの退職金でした。
 で、その封筒見ながら。考えました。……残り15週、どうやって生きたいか、って」

 今まで毛ほども考えたことのないそんなことを、今すぐに決めろと突きつけられた気分だった。
 馬鹿じゃねえの、というのが正直な感想だった。
 世界はもう滅びないんじゃなかったのか。神なんか何のためにいるんだよ。ふざけんな。
 そう嘆いたって何の足しにもなりやしない。もうタイムリミットは切られてしまった後だった。滅ぶ世界に何の相談もなく。

「その時浮かんだのが、物語だと?」
「そうです。どうせ死ぬっていうならあんな風に。俺の理想をちょっとでも生きてから  と思いました」
「滅びに抗おうと?」
「はい」

 矢継ぎ早に飛んでくる問いは回を重ねるごとに怪訝そうな色を纏っていく。当然だ。辻褄が合うわけがない。魔王様はもうそこに到達されている。
 だから次の問いまで珍しく読むことができた。初めて俺は、魔王様の頭脳の上を行った気がした。

「けれど、ならばあなたはどうして  自分で、魔王にならなかったのですか?
 滅びに立ち向かうもの。理不尽に突きつけられた滅びに抗うもの。あなたは、それこそが魔王だと語ってくれましたね。
 ならば、あなたがすべきは一護衛として私の元で働くことではなく。己を魔王として、滅びに抗うことではないのですか?」
「違います。故に、俺は魔王様の配下であるのです」
「では……なぜ?」

 でも違う。そもそもこれは純粋な知恵比べなんかじゃない。前提を知らなきゃ解けない引っかけ問題だ。それも頭の良さだけじゃ絶対に読めやしない、どうしようもなく個人的な感情とか信念とか、金に換えることのできないものの絡んだ話だ。
 つまりこの『黄金の楔』の下にある世界では一番無価値なもの。世界にも魔王様にも分からない、俺だけに理解できる価値の話だから。




「俺が憧れたのは  
 勇者ではなくて、魔王だったからです。世界を救う勇者ではなく、救われる世界のために滅びていく魔王だったからです。
 自らに突きつけられた勇者という滅びを前にしても揺るがぬ態度で立ち向かう。そんな魔王と。
 そしてその忠実な臣下こそが、俺の憧れた姿でした。
 だから、そうなるしかないと思いました」
 

 もはや書物の中にしかいない、悪を貫く古の魔王。そしてそれに忠実に付き従う悪の幹部。
 自分自身や仰ぐ主人に対して持つ絶対の自信。それが形となった傲岸不遜の態度。信念をいくら否定されようともそれを決して曲げることのないまま滅んでいく姿。
 それは俺の目に、とてつもなくかっこいいものとして映ったのだ。物語の主人公であるはずの勇者よりもずっと。
 わけもわからず目の前に現れた滅びと自分に刻み込まれたタイムリミットを目の前にした時、脳裏に過ぎったのはその姿だった。
 それをそっくり写し取ってガワとして据えるしか、方法なんかないと思った。
 正体も前触れも見えないまま日常の延長上を音もなく呑み込んでしまった滅びに抗うなんてことは、そうでもしなきゃできないと思った。

「それでも、俺には……滅びなんてとんでもないものに正面切って立ち向かえる勇気はなかったからです。
 自分や世界が滅ぶなんて塵ほども考えたことのない奴がいきなりそんなこと、できなかったんです。
 剣と血を伴う戦いをしてきた魔王様には、この商戦なんて余裕で向かっていけるものでしょうけど。
 俺にはこれですら、恐ろしくてしょうがないんです。

 だから、俺は。
 せめて魔王に相応しき人の、滅びに抗う魂を持つ人の、右腕になろうと思いました。
 そうしたならきっと、死んだって悔いはないって」