10.罪業、あるいはあなたのカルマ
四畳半の小屋の魔王の口から語られたのは、顧客ではない真の『勇者』であった過去。
しかしその光以上に、その闇は深く。
「私が何によって英雄と評価されたか。世界を滅ぼさんとしたものを討った、それ故であることはお話ししましたね」しかしその光以上に、その闇は深く。
「……はい」
「成されたそれだけを見るならば十二分に偉業でしょう。
ただその裏においては。この『黄金の楔』の掟の下にある世界で生まれ育ったあなたから見れば受け入れがたいであろうことも、私はたくさん行ってきました。
あなたがたの分類で言うなら、私はかつてカルマの勇者であった、ということになるでしょう。
ダンジョンに生きる魔物たちの命を奪うこと。設置された宝箱を開け、中身を無断で持ち去ること。
いずれもこの世界では赦されぬ所行でしょう。ですが私は、かつて数多それに手を染めました。そしてそれに対して、反省もありません。
そうしなければ死んでいたのは私たちでしたから」
語られたのはいずれも、このできそこないの世界では遠い昔にタブーとなった行いだ。
ダンジョンに生きる魔物は、外部の民からすれば異様とされる外見や侵入してきた勇者を害することを理由に討伐の対象となり無残にも殺されてきた。収集した宝の誇示や秘蔵のために置かれた宝箱は、ダンジョンへ侵入した勇者によって幾度となくその中身を盗まれてきた。
当たり前とされてきたその罪を戒めたものこそが『黄金の楔』。それが世界の法となって以後、勇者は魔物の命を奪うのではなく魔物に金を払って共に訓練をすることで経験を積むようになった。宝箱の中身は魔王に金を払って買い受けるようになった。
そんな、俺達にとって当然の……秩序ができる前の世界を、魔王様は生きていた。
異世界から流れ着いた来訪者の中にはそうした者もいると聞いたことはある。魔王様がそうではないかということも、薄々は感じ取っていた。
だが語られたその中身は、俺の想像を遥かに超えたものだ。唖然とする俺に、魔王様は再び微笑みかけてみせた。
その微笑を暖かなものと見て取って良いのか、もううまく判断がつかなくなっていたけれど。
「無論、もう私はこの世界で成すべき振る舞いを知っています。あなたのおかげですよ、アルフ。
魔王として城にあり、護衛たちを統べ、商いを行うこと。もう私が魔物を傷つけ、どこかより奪うことはないでしょう。
その必要のない限り。もちろん、『黄金の楔』にて縛られたこの世界に、それを行う隙があるとは思いませんが」
「……その必要が生まれれば、魔王様は……?」
けれどその口ぶりはやはり冷たくて、酷く不安を煽られる。
からからになった口を潤そうと唇をつけた紅茶はすっかり温くなっていた。
「ええ。さしたる呵責もなく、またその行いに手を染めるでしょう。
軽蔑して下さって結構」
魔王も勇者も、その生き方を変えられないものたちだ。侵入者というリスク、それに対処するための出費を負ってでも城と富を築かずにはいられないもの、金を払ってでもその城に攻め込まずにはいられないもの。
魔王様もまた同じだ。魔王となれども、未だその勇者としての
今現在の魔王様はその呼び名こそ『魔王』へ変われど、おそらくその芯にある魂は勇者にこそ近しい。そもそも魔王様が魔王となった根源には、そこから来る揺るがしがたい意志があるのだろうから。
「私はきっと、あなたのことでさえも。
その必要があるのなら、殺すまでとはいかずとも切り捨てはするでしょうからね」
「…………えっ?」
咽せずに紅茶を飲み込んでその一言を発せた時点で、もう奇跡みたいだった。
背後から思いっきり頭を殴られたような気分だ。思いもしなかった衝撃を受け止めるのにまず少しの時間がかかって、それからどっと嫌な汗が溢れ出してくる。
そりゃあ護衛は所詮雇われているに過ぎない身だ。給金は先払いでマーケットを通して支払われているが、だからといって実際に店先に立つかは魔王の采配次第。最悪の場合は雇用期間を残したまま店員としての籍を外される。
けれど今言っているのはそんな、日々の雇われ契約の話どころではない。
きっとそうなったら、俺と魔王様は二度と顔を合わせることさえないだろう。そういうレベルの話だ。死ぬと同じように互いがその後どうしているかの連絡もまったくつかなくなる、そういう別れ方の話だ。
「それも、私がこれまでに何度かしてきた行いのひとつです。
共にあった者がいつまでも味方であるとも、共にいていつまでも利があるとも限りません。
害を成すならば、あるいはその気はなくとも害になるならば。道を異にすることに躊躇はありませんよ」
この動揺っぷりが顔に出ていないわけもないだろう。なのに魔王様は変わらず淡々と話を続けている。その蒼い瞳はしっかりこちらを向いているのにもかかわらず。
その様子がかえって説得力になっているような気がした。
この人はきっと、別れを告げられて呆然とする俺に向かってまったく同じことをするだろうと。
「元より私の生きてきた世界で、世界の方が私を切り捨てようとしたのも。
かつてのそうした私の行いが蒔いた種が芽を出しただけ、という部分は大きいでしょう。
被害者としての顔だけを出すなら、以前の言い方になるけれど」
そこまでを言ってふうと溜息をついて、魔王様は少し申し訳なさそうな顔になった。
まるでその瞬間初めて、俺の様子を見たみたいだった。
「あなたにとっては、受け入れがたいことでしょう。けれどこれも私の一側面。
私は今、この世界で滅びに立ち向かう魔王です。けれどそれ以上に、それ以前からを生きてきた私です。
私はあなたの救い主でもなければ、あなたの理想から抜け出てきた存在でもない」
そりゃあそうだ。魔王様は魔王様だ。更に言えば、俺が勝手に魔王様とかの人を仰いだだけだ。
魔王様からすればそりゃあ鬱陶しい存在だったかもしれないし、この世界についての基本的な知識を学べばそれで用済みの教科書代わりみたいな存在だったのかもしれない。
俺は魔王様を選んだ。だが俺の方はどうだ? 魔王様に選ばれる何かはあるのか?
白き翼の魔王
この魔王城が開店してからずっと店頭に立っているとはいえ、稼ぎだって同僚のサキュバスたちには叶わない。閉店時のミーティングでも大した案を出せた試しはない。魔王様の方が知識も経験もずっと上だ。
俺は結局。
大仰に振る舞ったところで、中身なんかさっぱりついていったためしがない。
そんなこと、わかってたはずなのに。ずっと前から。
「……だいぶん、私への印象も変わったことでしょう。
失望したのなら、出て行って構いません」
「…………それは、その。今すぐクビってわけでは、ないですよね」
「ええ。あくまで、あなた自身が出て行くことを選ぶかどうかを聞いています」
「なら」
席から立ち上がって一歩、椅子の隣に立つ。
魔王様は座ったまま俺を見上げている。
その目線だけで肺がへこみにへこんで息ができなくなるような錯覚を覚える。
これじゃあ駄目だ、言うべきことを言うこともままならない。
錯覚だと強く自分に言い聞かせて、深く深く息を吸い込んで、そのまま90度に頭を下げた。そりゃもうテーブルに額を打ち付けそうな勢いで。
そうでもないと、竦んだ身体は動きそうになかったから。
木目と床を見下ろしながら気持ちを整える。臆するな、お前は忠実なる魔王の右腕。それが魔王に物申して何がおかしい。
そのまま頭の上がりきるより前に、口から言葉が飛び出していた。
「貴方様のお傍にて、今一度仕えることをお許しください。
許されるなら、世界の滅ぶその日まで」
渾身の一言にも、魔王様は眉一つ動かさなかった。
内心動揺する俺に向けて、魔王様はそのまま問いかけてくる。
「その約束が守られる保証はないと、分かった上で?」
「はい。……その望み叶うならば、俺には何の後悔もございません。例えその末に世界が滅びようとも」
「……そう」
「いつかの話を繰り返しましょう。
なりましょう。『あなたの魔王』に。
その代わり、述べなさい。その望みを。その故を。あなたのその仮面を剥いで、あなたの言葉で語りなさい。
あなたが何故、世界を救う魔王ではなく。魔王の臣下として動くことを望んだか。あなたが何故、それに相応しきものを演じることを選んだか。
……よければ、聞かせてはもらえませんか」
望みを述べろ、格好をかなぐり捨てたお前の言葉で。
その言葉はそっくり前と同じだ。魔王様と出会った、あの日と同じだ。あの日はただ、ほんの少しを口にするだけで精一杯だったけれど。
魔王様はいつでもこの俺の振る舞いが、いわゆる『ガワ』であることを見抜いている。
その内側に、そうでもしないとやってられない奴がいることに気付いている。
結局今までその理由を聞かないでくれたことも、そのまま傍に置いてくれたことも、俺にとっては恩でしかない。
だから答えなんて一つしかなかった。すっと肩から力を抜く。そうしたら何故だか、自然と笑顔になっていた。
「はい」