5.科学、あるいはあなたのマシン

自らに逆らう魔王達の存在を察知し、『禁忌指定委員会』強硬派・レヒルは彼らへビデオメッセージを送付する。
高圧的極まりない態度で魔王達を軽んじて顧みないその言葉に、アルフの胸には怒りが煮え返る。
「四神の一柱『ペネリウム』の言葉も、『アンデライト』の禁忌指定も棚に上げて、
 自分こそが世界を救う正義だとでも思ってるかのような顔しやがって……!!
 挙げ句の果てに魔王をゴミ呼ばわりだと!?   馬鹿にしているにも程がある!!」
 
 絶叫を一息で吐き切った肺に思いっきり空気を入れても、煮えくり返る腸はまだ収まらない。
 とっくに終わった映像メッセージへ向けて第二陣の罵倒を吐き出そうとしたところで、ドン、とことさらに大きな音を立てて傍らに何かの置かれた音。
 何の変哲もないマグカップだ。勢いで大きく揺れる水面には何の色もなく、そのまま陶器の色が透けて見える。カップの持ち手を掴んだ皺の刻まれた手指を辿って上へ視線を上げる。その持ち主たる魔王様の目にはありありと呆れが浮かんでいた。その色を見た瞬間に、カップの中身を思いっきり引っかけられるよりも強く、肝がすっと冷えていくのが分かった。
 
「話は終わりましたか? まずは頭の熱を冷ましなさい」
「スイマセン」

 すぐさま90度の礼で頭を下げた後に、差し出された水を一気に呷る。冷温が喉を通り抜ければ一気にそこが火照っていたことを実感して、水が腹に落ちるのが分かる頃にはまるっきり俺の頭は冷え切っていた。
 今日は魔王様の助力もあって、かなりすぐに落ち着いた方だ。もし俺と魔王様が出会うことなく未だ俺が一人で彷徨っていたとすれば、返答もないメッセージ映像に向かって第二波第三波を叫び続けていたことは想像に難くない。
 
「怒るのは結構ですが、もう少しボリュームを下げてくださいね」
「ですが……あの言われようですよ? 確かに魔王様が俺くらい激高されるところは想像がつきませんが……
 魔王様はお怒りにならないのですか?」
 
 俺が怒りっぽい奴だというのは誰もが認めるところだ。俺自身でさえまったく否定できない数少ない事柄なのだから。
 だがそれを差し引いたところで、メッセージの送り主は横暴にも程があるだろう。それを前にしても動じぬ魔王様は確かに器の大きい方なのだが、俺としては悪罵をその通りと受け止めているようにも見えるのだ。
 未だ燻る双方への不満が声に滲む。眉が少し動いたところを見れば、魔王様とてそれには気付いているのだろう。しかし魔王様はまず、映像とともに送られてきていた今週分の手紙に手を伸ばす。
 
「メルサリアも『聞き流していい』と言っていたでしょう? あれはその程度のものです。いちいち取り合うものではありません。
 禁忌選定委員会とやらのうちでも、私は彼女の人となりしか存じませんからね。初めて見えた『魔王抹殺派』の姿というのは価値ある情報ですが。
 その中でもあのレヒルという人物がいささか極端な主張を持つ人間なのか、それともあれが派閥所属者としてはごく一般的な態度なのかの情報は欲しかったところです。手紙に返事でも書いてみましょうか」
 
 その言葉が終わる辺りで魔王様は手紙を改め終わり、その記述の部分を俺へと渡してくる。
 相変わらずの読みづらい丸文字で綴られた手紙には確かに、その通りの文言が書いてある。それにしてもだ、と続けてしまうのが、きっと俺が怒りっぽいと言われる所以なのだろう。
 手紙をすぐに魔王様に返して、そのまま口を開く。
 
「収穫には期待せず待つのがよろしいかと。
 俺にはむしろ、メルサリアという女がどこまで本当のことを言っているか自体が疑わしく思えますよ。
 禁忌選定委員会の『カガクシャ』と聞いて、思い浮かべるのはまずあの眼鏡みたいな奴ですから。
 あの女も魔王に味方する振りをして、内部から魔王を切り崩そうとしているのかもしれません」
「そんな人間が、委員会の敵であろう『アンデライト』救出のために力を尽くし、自軍の内部状況を漏らすとも思えませんが」
「俺のように奴を警戒する者も多いはず。まずは実績を作って、魔王に取り入ろうとしているんでしょう」

 吐き出されるはずだった悪罵を引きずった不信に、反論はない。
 魔王様は机の上に広げた手紙に目を落として、何事かをじっと考えていた。その垂れ気味の耳だけは器用にこちらを向いていたから、話そのものは聞いてくれているのだろう。
 それから数瞬を置いて魔王様は顔を上げた。
 
「これ以上話しても、平行線を辿るばかりでしょう。元よりの印象というものに流されず話をするのは困難なことですから。
 それに私には、もう少し気になることができました。……この世界の『カガク』とは、何を指すかというのが」
 
 無理矢理に話を逸らしたな、と俺にすら分かった。魔王様には実に珍しいことだった。
 だがこれも、おそらくは俺へのお心遣いなのだろう。再びの怒鳴り声を聞きたくない、というもっともな理由を差し置けば、たぶんおそらくきっと。
 けれど考えてみても、俺の中にその答えは見つからず。
 
「……いえ、俺は存じません。
 そもそもその称号も、外からの魔王にたまに名乗る者がいたという程度の、元よりこの世界で生まれたものじゃないらしいんですが……
 この世界の者が自ら名乗ったのは、委員会の連中が初めてでしょう」
「そう。私の世界では、古代の遺産……例えばこの世界でいう、マシンのようなものを『カガク』の産物であると呼びましたよ。
 その分析や発掘を行う専門官こそが『カガクシャ』と呼ばれました」
 
 思わずいくらか瞬きをした。『カガクシャ』の名の、その意を聞いたのは初めてだった。
 『カガクシャ』といえば禁忌選定委員会という所属とともに、そう名乗る外からの来訪者までを含めた一定の傾向を持ったユニフォームが特徴とされている。
 例えばあの眼鏡も掛けていた眼鏡、ろくに手入れもされていない髪の毛、だいたい汚れっぱなしの白衣、その内側に着込んだチェックか無地のシャツ、男女を問わない飾り気のないズボン。そういう類の。
 けれど奴らが一体何のために、何を根拠としてその名乗りを挙げたのかは、決して多く知られてはいなかった。
 
「マシンと『カガクシャ』どもに関係が? あー、あのメッセージの中でもどうこう言っていましたけど。
 そういうことなら、マシンを護衛とする魔王すべてが『カガクシャ』になってしまいませんか?」
「あくまで私の世界の話ですから、当てはまらないのかもしれませんね」
「参考までに……魔王様の世界のマシンというのは、この世界のマシンと似たようなものなのですか?」
「私の世界のマシンは……そうですね。
 人と同じくらいの大きさのものなら、まさしく護衛として誰かの身を忠実に守ったり。大きなものなら、空飛ぶ船として十何人か程度なら乗せて飛ぶことができましたね」
「護衛たるマシンはこの世界にも数多おりますが。空飛ぶ船……ですか?
 魔王様の世界のマシンは凄まじいものと見える……そこに魔王がいるのなら、それ一つが魔王城と化すでしょう」
 
 船というものはこの地面ばかりのダンジョンの奥底ではあまりメジャーな存在ではない。天井のある中で空を飛ぶとなるとなおさらだ。
 魔王様の語るそれがどのようなものなのか、俺はそこまではっきりとは想像がついていなかった。だがその中に人を迎え入れ、自在に移動できるとなれば思うは一つ。魔王城である。
 もはや護衛ではなく建築となるような、巨大なマシンを作れるほどの魔力とはどんなものなのか。まるで及びが付かない。
 
「そうですね。この世界にもしも持ち込まれたなら、誰かの魔王城になっているのかもしれません。
 ひとりひとりの護衛に合うのは。人ほどの大きさで、人と疎通が取れて、人よりもずっと強い……」
「ええ、そのようなマシンならマーケットで仕えるべき魔王を待ち望んでいるでしょう。機会があれば一度この城へ迎え入れてみては?
 警戒すべき相手や商機を見極める機微には欠けますが…雇い主に忠実で機敏に働く、良き護衛たちです」
「私の知っている、護衛用のマシンと同じですね。……そうですね、考えてみましょう。
 『アンデライト』救出作戦についての方が先になるでしょうけれど」
「アレ、本当に参加されるんですか?」
「あの手紙の魔王たちは、どうあっても私たちを巻き込むつもりのようですよ」

 そこまで言い切って、魔王様は不意に天井へと視線を向けた。小屋の屋根を穿った巨大な天窓へ。
 つられて同じ方向へ目を向けて、ぎょっとした。
 さっきまで何の変哲もないダンジョンの天井だったはずのそこに、絵の具を適当に混ぜてぶちまけたようなめちゃくちゃな色合いが出現していたからだ。

「異界のワープポータル技術、拝見いたしましょう」
「いつも思いますが落ち着き払いすぎです魔王様!! もっと驚いていいと思います俺は!!」