3.魔王、あるいはあなたのファイター

予言より三週が過ぎ、魔王たちの商戦の滑り出しは順調だった。
そんな中、『禁忌指定委員会』の強硬派が動いたとの一報が入る。
【隷獣魔王『アンデライト』禁忌指定へ!!】

 ダンジョンタイムズ号外に躍る大きな文字は、この事態がそれだけ大きなことである証だ。
 禁忌指定委員会の不穏は伝えられつつも奴らは未だ魔王に対する直接的手段を執ったことはない。何かしらの害ある手段に出るのはこれが初めてだ。それもその標的は『アンデライト』。噂を挙げるにいとまのない、複数の魔王による強大な連合国家とその主。
 この9999階層よりは遠方の魔王だ。流れてくる噂がどこまで真実かも俺は知らない。事実なのは、禁忌指定委員会が動き出したというその一点だけ。
 だがそれだけでも、魔王様の耳に入れるに十分なだけの価値はあるだろう。
 号外を小脇に挟んで、四畳半の小屋の扉を開く。
 魔王様は常の通りベッドに腰掛けて何かを読んでいる。ドアの開く音に顔を上げて、その視線はこちらを向いた。
 
「魔王様! 号外が  
「『アンデライト』なる魔王の件ですね?
 丁度手紙が届いたところですよ。あの、前にも手紙をくれた3人の魔王たちと。それから、メルサリアという科学者。
 彼らもその事件を知って、私たちを巻き込んで何かしら動くつもりのようですね」
「あっ、ハイ」

 なんということだ。やはり一護衛より魔王様の方が情報が速い。
 魔王の大量就職を聞きつけて接触を図ってきた『乾いた静物の魔王』、『切り裂く紙片の魔王』、『仇花に灰を落とす魔王』。それに禁忌選定委員会の女は、なるほど先輩面をするだけあってなかなかの事情通らしい。
 それに、魔王様が個人としてあるいは城主として連絡を取り合う他の魔王達もいる。最近の魔王様は少しずつ他の魔王と交流を図り始めていて、俺としても少しばかり安心できてきたところだ。
 いくら魔王様が老齢であるとはいえ、そしてこの小屋を住処としているとはいえ、この場所に籠もりきりというのは気分が良いものじゃない。
 
「七の週、今から一ヶ月ほど後に何かしらを行うようですね。これ以上は、彼女たちから続報のない限りは分かりませんが……」
「俺もその手紙、見せてもらってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」

 差し出された手紙は四人分、四通分。取り立てて何の特徴もない字の『静物』、几帳面に整った字の『紙片』、中身も文字も乱雑な『仇花』、読みにくい丸文字の委員会の女。
 救出作戦、の文字が幾度か出てきた以外は、魔王様の言う通り大した情報もない。
 だが俺はその四文字だけで、確かに、心躍っていたのである。
 
「どうしましたか? 何だか、楽しそうな顔をしていますけれど」

 様子を見ていた魔王様から、そんな一言を頂いてしまうほどに。
 
「いえ……古の物語に出てくる勇者のするような行いの場に俺が同席できるかもしれないと思ったら、自然と」
「と、言いますと?」
「同じ志持つ仲間とともに横暴を働く悪へと立ち向かう……まさに、まさに勇者の  いえ、今の世では魔王の所行です!」

 つい拳を握って力説する俺を、魔王様は優しげに眺めている。他の誰かだったら笑いながら止めに入ってくるところだ。やはり魔王様はお優しい。
 そう感慨に耽る俺の前で、魔王様はすっと目を細めた。目が笑わなくなるまでが恐ろしく早い。一瞬の夢に過ぎなかったのか、なんて台詞が自然と出てきそうだ。

「きっと、やはりあなたの方がこの世界の『魔王』というものにお詳しいでしょう。
 これから聞くことについて、いくらか考えを聞かせていただけますか?」

 当たり前だがそんな前フリは普通なら必要ない。何を聞くおつもりですかあなたは。
 とは流石に言葉には出せなかったので無言でいかにもそれらしく頷いておけば、魔王様も同じ動きを返す。
 
「私は、この作戦に従う必要は必ずしもないと思っています。
 私たちと彼女らとは、先達あるいは同期という関係しかない。何かを強制されるような謂われは、互いにありません。
 それがあるならば、メルサリアから受けたいくらかの施しの対価としてでしょう。
 このような状況下で。
 あなたは、どれほどの魔王がこの救出作戦に参加すると。彼女らとともに、かの囚われの魔王の元へ向かうと思いますか?」
 
 問われれば自然と口元は引き結ばれた。そんなことは考えたことさえなかった。
 考えるまでもない前提が柱じみて俺の中にあるからだ。
 口を開くまでの沈黙は、一気に跳ね上がった鼓動を落ち着けて声を出せるようになるまでの時間だ。答えは問われた最初の一瞬で思い浮かんでいた。
 
「全員です」

 垂れ気味の魔王様の瞼が少しばかり見開かれて、虹彩の占める蒼も少し広さを増したように見えた。
 そんなに驚くことですか、と問い返すほどの気力はまだ戻ってきていない。
 
「随分はっきりと言い切りますね」
「魔王というのは、そういう存在だからです」
「そう。もっとはっきり言葉にしましょう。どういう?」
「えっ。……えっと……」

 が、問うている魔王様にはもちろんそんなことは微塵も関係ない。
 魔王様に詰問されることはカルマ勇者を相手取るよりも過酷だ。どっちもどっちで容赦がない。
 幸いいくらか時間を使うことは許してくれるらしかった。じっとこちらを見てくる視線からどうにか意識を外して、言葉を選び、文章を組み立てる。

「魔王とは。俺の思う魔王とは、でも、このできそこないの世界の魔王というものは、でもあるんですけど。
 理不尽を許さず立ち上がって戦う、そうした力と意志を持つ存在だからです。
 滅びを前にしても商売を続けることこそその象徴です。己の手で滅びを退けて未来を掴む。それに繋がる行動を取っていることこそその証拠。
 そして魔王様も迷わずその道を選ばれた。魔王にこそ相応しき方です」
 
 言い切って、今度はこちらがじっと魔王様の様子を窺う。
 俺の話が終わりと見れば、魔王様は何かを考えているように少しだけ俺から視線を外した。
 そうして口から漏れ出るのは長い溜息。まずい。ダメな答えだったかもしれない。
 
「私はただ、私の存続を願うだけの者ですよ。
 滅びを退け未来を掴む。ええ、確かにそうでしょう。ですが私が、世界を積極的に救おうというわけではありません。
 結果として、世界レベルのそれがついてきているというだけのことです」
「それで全然いいんです。個人だろうが世界だろうが構わない、動き出せる奴が一番偉いんです!」
「動き出せる。……それが、今回はかの救出作戦の提唱者たちだと?」
「……そう、ですね」
「今気付いたような顔をしていますよ」

 魔王様がふっと相好を崩す。それだけで場の空気が一気に和らいだ。
 俺は動いてもいないのにどうしてこんなに息が上がっているんだろうかと、その時になって初めて気付いた。
 
「……あー、あ、えーと。
 その、あの手紙にも号外にも『アンデライト』が言いがかりつけられてるんだって話がありましたし。
 放っといたらこっちにも来るかもしれません。それで動く魔王もいると思うんです俺」
「ええ、協力するとしたら私もその理由を答えるでしょうね。
 かの魔王のように禁忌に指定されて自由を奪われるのだとしたら、それは耐えがたいことですから」
 
 ふうと一息ついて魔王様が立ち上がる。片手でさりげなく俺に椅子を勧めながら。
 ご厚意に甘えて腰を下ろせばどっと力が抜けた。何をしていたんだ俺は。
 
「少し出かけてきますよ、留守番を頼みますね。
 特に来客の予定もありませんから、暇をさせてしまうと思いますが」
「あ、はい、構いません。……どちらへ?」
「トリエステ書庫まで」
「はい、いってらっしゃいませ」

 トリエステ書庫というのもまた、魔王様が見つけた気に入りの場所の一つらしい。
 商品としての書籍もこの店にいくらかあるものの、やはり魔王様は読むものとしての書籍がお好きなようだ。魔王としての知識を最初はそれで覚えていったように。
 元より話が済めばそちらへ向かうつもりだったのだろう。早々に準備を整えて、魔王様は出て行った。
 一人残されて、手持ち無沙汰になった俺は脇へ避けられたままの号外に再び目を通す。
 『アンデライト』と連絡がつかなくなったこと。禁忌選定委員会による禁忌指定がその原因であるらしいこと。『アンデライト』に禁忌の兆候は見られず、指定は委員会のミスである可能性が高いこと。
 救出作戦の話はその文面にはない。当たり前だ。大々的に知らせては委員会に悟られる危険も大きいだろう。
 権力をその手にした敵に悟られぬよう水面下で進む秘密作戦。実にいい響きだ。
 
「……魔王様は」

 結局、参加されるんだろうか。協力するとしたら、という含みのある言い方はどちらとも取れた。
 けれどきっと動くだろう、という希望的観測はいつでも俺の中にある。
 魔王様は魔王で、魔王とは言わば戦士だ。どんな護衛でも相手取れぬ滅びという理不尽かつ強大な敵へ立ち向かう者だ。
 故にこの小さな理不尽もまた見過ごすはずはない。そう、俺は今でも信じている。