錯誤のバベル

Mist of War 4th season

week2

ハイドラ大隊招集最初の一週間は残像領域全土に散った各構成員の集合に費やされ、迎えた二週目。
初の出撃命令に従うその機体は、到底十全とは言えなかった。


自己状態計測機は絶えずアラートを発し続けている。
剥き出しの配線、欠落した装甲、ほとんどの部位が通常であれば欠陥品とみなされるパーツ故に。
十全にて出撃せよ。それはわたしの設計の根幹に配置された命令だ。
しかしわたしは自らの判断においてそれを無視することができる。
それよりも優先される大局命令のためであるのならば。


『生きろ』
『生きろ、シニカ』


機械に人間のような自動修復機能はない。
故にわたしは自らの手で、わたしを維持できる環境を得なければならない。
エネルギーの確保、損傷を得る可能性の低減、機体整備者の発見および報酬の支払い。
それらのためにわたしには資金を得る手段が必要で、
そのための方法をもう既にわたしはわたしの身体にしていた。
駆動機が霧を吹き出し、束ねられた車輪が一斉に動き出す。
ウォーハイドラ『キッシンジャー』は、わたしは、アラートを響かせたまま霧の中へ進み出した。

生きるために。
自意識を保ちそれに従って動く肉体を用いて自らの望むことを成す。
そう定義されたことを続けるために。





わたしのそばに命令者マスターはいない。
その命令だけがわたしの中にある。

week3

第三次ハイドラ大隊にも名を連ねたハイドラ『キッシンジャー』の再起動。
それをもたらした女の噂が広まるとともに、格納庫に現れたのはひとつの影。


 わたしの望みが生きることと知れば、おおむねの人間は同意し、あるいは共感を示す。
 しかしわたしが機械であることを知れば、おおむねの人間はわたしがそう望んでいることそのものを疑う。
 何故かとわたしが問う回数が増えていく度、判断の基準となる情報は増えていった。
 もっとも多く得られた回答は「それが当たり前であるから」あるいは「機械はそんなことに煩わされるはずはないから」。
 それを常識や当然という個人に属するものではないこととして表すとすれば「機械に生死という概念はないと感じているから」。
 けれどこの残像領域で、わたしはひとつの名を受けた。
 『死んだハイドラを生き返らせた女』、それがハイドラライダーとなって最初に受けた称号だった。
 この世界は、機械に死が存在することが基底通念となっていた。そうでなければこの呼称は存在し得ない。
 その呼称は残像領域を噂となって広がっていったらしい。
 噂の中の事実と空想の割合をわたしは計測しておらず、また現在もそれを計測する計画はない。
 けれど伝聞である以上正確な伝達は不可能で、そうした点からも呼称そのものの変化を含めた肥大あるいは偶像化が起きていることは推察できた。
 結果としてその名は、わたしが推測したよりもずっと高い知名度を得たようだった。
 それを辿ってわたしの所在を突き止めるようなハイドラライダーが現れるほどに。
 

「お前か? お前だな? 『死んだ戦機(ウォーマシン)を蘇らせた女』ってのはよ」


 クロムノート・ウェルサキオン。
 その時わたしは目の前に現れた彼を、わたしが『蘇らせた』というウォーハイドラの目で見下ろしていた。

week4

格納庫に現れた男――クロムノートとの同盟はつつがなく結ばれ、僚機として共に戦場に赴くこととなる。
彼から見て僚機にとするに足るシニカがいるように、シニカから見た彼もまた存在していた。


 「死んだハイドラを生き返らせた女」。
 それがこの残像領域において、わたしに最初に与えられた呼称だ。
 けれど「生き返らせた」というのは正確ではない。わたしはこの機体の修理を行ったのではないからだ。
 わたしがこのハイドラの所有権をわたしに移す前後で機体の機能にどれひとつとして変化はないし、その過程においても機体に手を加えたところは何一つとして存在しない。
 ただわたしが操縦する限りにおいて、このハイドラの損傷箇所が障害とならなかったというだけだ。

 わたしはわたしの死を、わたしの命令者マスターが語ったものと定義している。
 それすなわち、自意識の喪失。わたしがわたしであるという連続性の喪失。
 あるいは損傷による機体の喪失。自意識の発露の手段の喪失。
 しかし意志をもたない機械においてはどちらの基準も適応しえない。
 この二基準は自意識を持つことが前提であり、自意識を持たない機械の生死を判断する際の基準としては不適だ。
 
 ではそれをどう判断するのかは、多くの場合それが有用性を保つかに基づいて行われる。
 このハイドラはわたしの操る限りにおいて、他の損傷ないハイドラと同様に戦場で動くことができる。
 有用でなかったものが有用なものになる。
 そのプロセスを見た人間は「生き返った」とそれを呼び表す。
 
 わたしの前に現れた男――クロムがわたしに求めていたのもそうしたことで、それは生存を問わなくとも有用性を問うものだった。
 出会って三言目に、名乗るよりも戦場にある目的を語るよりも前に同盟を持ちかけてきたその望みはわたしという存在で、突き詰めれば戦場におけるその有用性だった。
 わたしもまた求めるところは同じだった。
 より優秀なライダーを僚機とすることで自身の生存率を向上する。
 その点においてはわたしたちの考えに相違はなく、同盟には何の障害もなかった。


 有用であること。
 求められる機能を果たすこと。
 それはわたしという機械自身の機体を乗り換えた今もわたしの基底に根付いている。
 電子頭脳の奥底からそうであれとわたしを駆り立てる。
 生物であればそれを本能と呼ぶのだろう。
 けれどわたしは生物として設計されてはいない。だからこそ、有用であれとの命令が刻まれている。
 まぎれもない、知性生物の手で知性生物のために設計された道具のひとつとして。

week7

第一の遺跡要塞『リソスフェア』攻略のため、ハイドラ大隊へ遠征命令が下る。
遺跡を占拠した辺境軍閥、長きにわたりそれと抗争を繰り広げてきた企業連盟、その実質的傘下にある霧笛の塔。
異世界より来たりし者に、その肩書も歴史も関係はなかった。


 過去のメモリを検索しようともリソスフェアの名に行き会うことはなかった。
 ただ振り込まれたクレジットの数字と、割り振られた第16ハイドラ大隊のナンバリングだけが確かだった。
 それに付きまとう企業やその連合体、そして残像領域の歴史に連なるさまざまな思惑とそれにまつわる風説はわたしの障害とならない。
 わたしという機体の存在は常に使用者の手段としてあり、今はそれが少しばかり形を変えたのみにすぎない。

week10

ある日のハイドラコックピット――操縦棺内に届いたのは一通のメール。
大隊外には知れば羨む者もいるだろうそれは、シニカには唐突に与えられたごく狭い選択肢に過ぎない。


『先日は弊社の兵装試験にご協力いただきましてありがとうございます。
 謝礼としてお送りしたカタログの応募期限が近づいていますので、ご案内申し上げます』
 
 
 着信メールはそうした文言で始まっていた。
 記された配布日は約二ヶ月前。わたしがハイドラライダーとなってさほど経たない頃。
 メモリ内を捜索すれば確かに企業兵装試験への協力――そう銘打たれた企業間闘争へと出撃した記録がある。
 先週の出撃もそういった内容で、メールはそちらのカタログも同時に処理してしまうことを遠巻きに推奨していた。
 
 メールに添付されていた電子カタログを開く。
 食品、日用品、衣服、家具、雑貨、図書。
 残像領域においてはハイドラライダーかあるいは企業、カルト教団、そういったものの上層部でなければ手に入らないであろう品々が鮮やかな写真とともに並べられている。

 しかしそのどれも、わたしには不要なものだ。
 
 わたしに生活はない。
 直結を通してミストエンジンからエネルギーを得ることを補給とし、操縦棺の中でスリープ状態へ入ることを休眠とするわたしにはハイドラと格納庫以上のものは不要だった。
 強いて言えばマーケットへ赴く際、あるいは整備士への依頼を出す際のための服程度があればよく、今はそれも満ち足りていた。

 かといって、得られるという機会を逃すことは損失が大きすぎた。
 物資は所有しているだけで資産となりうる。
 それは日常生活における交換においても、
 ハイドラライダーの間で行われるジャンクパーツの取引においても変わりない。
 そうして「交換」の先となりうる場所を、わたしは一つ知っていた。
 チアーズはおそらくアルコールと、それに付随する食品を拒まない。
 
 わたしに生活があるのだと仮定すれば、おそらくそれはあのユニオンに存在するのだろう。
 首魁を筆頭として意欲的なハイドラライダーが集い、各々の組み上げるハイドラの機体構成も一級。
 しかしそういった性質が話題に上がることはほとんどない。
 あのユニオンを戦場の延長として考えている者が不在だからだ。
 杯を掲げ、各々の帰還を祝す。それだけのためにあの場は存在する。
 
 
 ずらりと画面に並ぶ種々の酒瓶。かつて実物を目にしたことも数多い。
 マスターは強い酒を好んだ。
 わたしには一度たりとも勧めてくることはなかったし、わたし自身も嗜好品は不要なものと認識していた。
 ただその隣によく用意していたチョコレートを、彼はしきりにわたしに食べさせたがっていた。
 
 
『オーダーを受け付けました。 ご利用ありがとうございます』


 自動返信メールが着信する。
 今のわたしに食物を摂取できる機構はなく、それを勧める人間はわたしの隣にいない。

week11

戦場を共にして十週を数える僚機『レイジングヴァイパー』、およびそのライダーとの関係は淡々としていた。
だがそこには確かな協力、あるいは相互利用の関係がある。


 ミッションの選択。
 素材となるパーツの譲受。
 その他細々とした、次回出撃における連絡要項。
 非出撃時における僚機「レイジングヴァイパー」、搭乗者であるクロムとの通信履歴のすべてを見返しても、その三つ以外に分類できるものはない。
 おそらく相手もそれ以外の連絡を必要としていなかったし、わたしもまたそうだった。
 ハイドラライダーとしての実力と戦場での協力以外の一切を求めないという点でわたしたちは確かな一致を得ていて、それを乱す理由などどこにもありはしなかった。


「パーツの作成予定はどうなっていますか」

 故にそれもわたしには必要事項のうちだった。
 沈黙に伴ったモニタの駆動音だけが操縦棺内を満たす。
 
「…………俺のか?」
「はい。あなたに作製を依頼したいパーツがあります」
「……俺がか?」
「はい」

 聞き返す声へは間髪入れずに肯定を返す。
 他のハイドラライダーへ同様の連絡を取る手段はある。しかしそれは確実でない。
 求めるだけの専門知識の持ち主は依頼を受け入れるかも、それ以前にその依頼を目にするかどうかもわからない。
 ならば確実に連絡を図れ、かつ十二分な技術の持ち主が存在するのならそちらに頼む方が選択肢として堅実である。

「おそらくあなたならば十分な作製が可能、かつ躊躇なく臨むだろうと推察しています」
「……で、俺に何を作れって?」
「タンクの脚部、軽量型のものを。材料となるパーツや資金はこちらで用意します」

 ハイドラライダーとなってすぐに、簡易のものから付け替えた現在の脚部は限界が近い。
 被弾数は少なくとも駆動部は摩耗し、その修理は着実にパーツの性能を落としていく。そうでなくとも、残像領域では日進月歩の速度でより優れたパーツが開発され続けるのだ。これ以上使用を続けることは得策でなかった。
 交換が必要だった。できるだけ速急に、できるだけ高性能なものへ。
 そしてそれを叶えるのは、おそらくは僚機たる彼がもっとも適任だった。

 ハイドラライダーの活動は記録されている。
 戦果査定のための戦闘記録を始めとして、出撃時アセンブリ、パーツの購入および破棄、作製、マーケットへの出品内容はデータベースとなって残像領域内ネットワークに保存され、個々のライダーからのアクセスが可能となる。
 軽量型機を駆るライダーたちのアセンブリに共通する軽量化仕様操縦棺、通称操縦棺B型。
 その種別に分類されるパーツにおいて比較的採用数の多かったものの中に、法的不適格品があった。
 記録から出品元を割り出してみれば、それは他ならぬ僚機の操縦者。
 その出品を躊躇わぬ彼の機体は、使用規制品や違法改造品を複数積み込んだ機体となっていた。
 だからこそ彼は適格だった。
 
 「ウォーハイドラパーツへの法規制、およびパイロットへの重力加速度負担は一切考えず、旋回能力を現状の限界まで追究したものを作製してください」
 
 良識あるライダーが相手ならばおそらく承諾は得られない内容であることは認識していた。故に部外者へ安易に依頼することは高いリスクを伴う。
 そうしたところを拘る者が残像領域のどれほどを占めるのか、そしてハイドラライダーの一般的良識とはどれほどの水準にあるのか、わたしは未だ判断を保留している。
 しかし断定した。彼はこれを咎めることはない。わたしには幸いにして。
 
「処刑用か?」

 事実、彼がまず口にしたのはその用途についてだった。
 先刻のわたしと同じように、間髪を入れずに。

「おそらくはその用途にも使用可能ですが」

 マーケットで販売すれば、そうした用途で使用する購入者の存在も考えられた。
 しかしわたしにはその予定はなく、現状において誰かを裁くべき法的規範もない。

「わたしの用途はそうではありません。わたしの、次の機体脚部とする予定です」

 部品と技術の劣化を除いても、未だ脚部を替えなければならない理由は挙げることができた。
 前回に実施した、旋回速度に特化したアセンブリによる波状攻撃は想定以上の戦果を挙げており、常に電磁波濃度に戦術を左右される霊障現象を軸として戦う中で安定を確保する手段として速度は非常に有用だ。
 しかし搭乗者として人間を想定した規制ラインはわたしには低すぎる。だからこそそれを何らかの手段で突破する必要があった。
 違法パーツの使用によって社会的制裁を受けたハイドラライダーについての情報は見当たらなかった。パーツの購入・使用者も含めてだ。
 残像領域の特権階級であるというハイドラライダーは法の手さえ及んでいないのか、それとも別の理由があるのか。
 どちらでもよかった。おそらくは法の手は、わたしのことも捕らえはしないだろうと確信が持てれば。

「そうか。……パーツや資金はそっちで用意するんだったな? 準備ができたらすぐ持ってこい」
「かしこまりました。格納庫の整理終了後すぐに。多少ですが、依頼料を同封しておきます」

 否定の言葉は返らない。
 ここからの会話だけを切り出せば、その文言は常に行われる他のライダーたちの取引と何ら変わりないだろう。

「いらねえ」

 その予測は、ただの一言で裏切られた。
 懐が十分であるのか、それとも何か別の、信条とでも言うべきものが存在するのか。
 それを測りかねているうちに、口を開いたのは彼の方だった。

「互いの利益のために協力するってのが契約だろう。これもそのうちだ」

 そう言われてしまえば返す言葉はない。その言葉に突くべき箇所は見当たらない。
 言う通り、それが最初の契約であるからだ。互いに求めるすべてであるからだ。 
 
「……では、そのように」
「おう。できたら連絡する」
「お待ちしております」

 二の句はなかった。通信は途切れた。
 他の着信のないのを確認し、通信アプリケーションをシャットダウンする。入れ替わりに起動するのはHCS、ハイドラ・コントロール・システム。
 わたしの持つ手段のうちハイドラ用パーツの運搬にもっとも適しているのは他ならぬハイドラで、倉庫整備もまた「キッシンジャー」の備えた戦闘用術腕の役目だった。
 直結を完了する。
 五門の駆動部、回り始める履帯、レーダーの視界、霧を掴むかのような感触を伝える腕、二つの心臓。
 組み上げたハイドラのそれの代わりに、人型としての感覚をゆっくりと失いながら。